2年前より付近が整備されて、歩きやすく見学しやすくなっていました。
城山南東の結神社から登城すると、緩やかな石段で淡路丸南側へ到着しました。徒歩で攻城する方は桑実寺や追手道より楽です。 石垣も立派で虎口もあり、淡路丸だけでも単郭の城趾のようです。
淡路丸から観音正寺に向かう途中で(佐々木城、三角点)と記された道標に向かい大土塁上の道を行きます。 左右は薮になっていますが三角点まで曲輪が断続的に続き、大石垣レベルの石垣もみられ楽しいです 縄張り図は必須です。
伝馬場丸の手前くらいにある、大正四年に作られた城趾碑です。巨岩の上に立っています。 佐々木氏は鎌倉時代の源頼朝の挙兵の功より近江国の守護職に任ぜられ、約400年に渡り近江守護を務めた名門。その後4つの分家に別れ、それぞれ高島氏、大原氏、京極氏、そして江南の六角氏となり、六角氏の本城が観音寺城です。初期は大土塁の尾根上がメインのお城だったのかな。 法体の僧の姿が字の右側に見えますが、六角承禎なのでしょうか。
大土塁最高点までの半ばには堀切があります。なかなかの規模です。
伝馬渕丸の大土塁反対側に石垣作りの虎口があります。さらに降りると削平地があり、高さのある石垣が残っています。
三角点近く、三国岩という巨岩が出てきたらすぐ伝三国丸の石垣で囲まれた曲輪があります。大土塁沿いの曲輪の石垣の中では大きな石が使われていますし、今は倒れてますが、虎口に立ち石があったようです。
三角点から山腹に降りてきても道沿いに曲輪群が段郭状に連なり、かなり立派な石垣で囲まれた曲輪もあります。
結神社からずっと石段で登城してきたのに、城域内の大石段には萌えてしまう。
大土塁沿いの屋敷跡をみてきた後なので、別格だな、と感じます。
2年前より付近が整備されて、歩きやすく見学しやすくなっていました。
往時は東山道へアピールしていただろう大石垣。今も新幹線から見えます。
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