観音寺城は六角氏頼によって築かれた城で、六角氏の本拠として知られています。日本五大山城のひとつでもあります。「応仁の乱」では観音寺城をめぐり3度にわたって攻城戦が展開されました。戦国時代には六角義賢・義治父子が大幅な城の改築を行いますが、1568年(永禄11年)に織田信長が足利義昭を擁して上洛した際に敗れ、無血開城しています。そのまま廃城になったため、荒廃してはいるものの土塁や石垣など、多くの遺構を確認することができます。なお、観音寺城は総石垣で築かれた、国内屈指の大規模な山城であったと考えられており、織田信長が安土城を築城する際に参考にしたという説もあります。
目次
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433 m( 350 m)
内郭:-- 外郭:--
天守はなく、2階の館があったとされる。
六角氏頼
着工 1467年〜1487年
1568年(永禄11年)
佐々木六角氏
佐々木六角氏
本丸、二の丸、曲輪、土塁、石垣、堀、門跡等多数
国史跡
項目 | データ |
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曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 433 m( 350 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守メモ | 天守はなく、2階の館があったとされる。 |
築城主 | 六角氏頼 |
築城開始・完了年 | 着工 1467年〜1487年 |
廃城年 | 1568年(永禄11年) |
主な改修者 | 佐々木六角氏 |
主な城主 | 佐々木六角氏 |
遺構 | 本丸、二の丸、曲輪、土塁、石垣、堀、門跡等多数 |
指定文化財 | 国史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/03/28 14:40:53
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観音寺城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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