古城濠とあるが橋の名前は「七曜橋」、かつての大手門筋だったという。車道・歩道は左手に向かって下っていくが、まっすぐに進むと右手に満々と水をたたえた大池(現、三田御池)が広がっている。
右側は有馬高校の敷地
古城濠とあるが橋の名前は「七曜橋」、かつての大手門筋だったという。車道・歩道は左手に向かって下っていくが、まっすぐに進むと右手に満々と水をたたえた大池(現、三田御池)が広がっている。
かつての水堀の南東半分には水が無かった。なかなか深くて、堀底にポツポツと咲き残る黄ショウブの花が何とか判別できるほど。右側は有馬高校の敷地が続いている。
台地の端っこ、三田小学校正門前。道路とかつての水堀をはさんで右手に有馬高校がある。小学校は陣屋跡に、高校は古城跡に立つ。
タイミングよく「九鬼水軍 海から山へ」のパネル展示をしていた。九鬼家御家騒動家系図や九鬼嘉隆·守隆の親子それぞれの甲冑パネルが並ぶなど、ポイントがよくまとまっている。三田古地図のカードや九鬼水軍の紙資料がもらえて理解が深まった。南側に駐車場あり。
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僕らは攻城の折に、何もない城址だとつい「残念ながら遺構は見られない」と思い、書いてしまいますよね。事実そう感じてしまうことで仕方ない。そんな中でも何かいい所を見つけて書きたいものです。そんなご同輩や私に、この本!
城って、造るのが大変で注目されるのはそこだと思いますが、落城することもあれば、天災で壊れそのまま廃城になることもあったわけで、そうした例を数多くの文献を引用して紹介してくれています。完全に破却される城がある一方、現代も遺構がある城址も存在する訳や、植栽の手入れやごみ・糞尿の処分などメンテナンス、門限や賭け事などのルール(城掟)といった生活観まで教えてくれます。
城掟ってものが残っていることを知りました。機会があれば見てみたいな。
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