登城口・駐車場までは道が狭く、途中から未舗装になりますが道標がちょこちょこあります。谷の奥なので麓の集落から結構な距離になります。
登城口・駐車場は砂防ダムより奥にありますが未舗装です。 谷間なので携帯の電波が届きにくいので注意して下さい。
道標が要所要所にあります。
沢沿いを奥の尾根までとにかく登る感じです。 礫がごろごろして足元が悪いですので注意してください。
登城道を登り切りった尾根から城址です。
わかり難いですが堀切跡です。 虎倉城に続く尾根は本丸まで重機で削られた道が続いており、ここが現在のように土橋だったのか、ちゃんと掘り切られていたのかはわかりません。
登山道を登り尾根に辿りついた所、城址の西端にあります。
城主だった伊賀氏・長船氏の供養碑が立っています。
伊賀氏、長船氏は虎倉城の城主です。 伊賀氏は北条義時の継室伊賀の方の兄、伊賀氏事件の伊賀光宗の子孫で戦国時代は金川城の松田氏に仕えていましたが、伊賀久隆の代に宇喜多直家の妹と婚姻を結び、松田氏を裏切り宇喜多氏と共に松田氏を滅ぼして宇喜多氏の重臣となりました。その後、宇喜多氏が毛利氏から織田氏に鞍替えすると、毛利氏により居城の虎倉城を攻められますが、見事にこれを撃退しました。ところがその久隆が急死し(毒殺説もあります)息子の家久が跡を継ぐと毛利氏に寝返ってしまいます。その後、本能寺の変をへて毛利氏と宇喜多氏(羽柴氏)との領地分により虎倉城は宇喜多領となり黒田官兵衛と蜂須賀小六が接収し、宇喜多氏の長船貞親が入城しました。 長船貞親は宇喜多三家老に数えられる武将で、宇喜多秀家時代には宇喜多家を取り仕切っていました。ところが天正16年(1588年)、娘婿である石原新太郎により貞親は銃殺され、その騒動で虎倉城も焼け落ち廃城となりました。
伊賀氏・長船氏の供養碑が立っています。
北側が少し高くなっていました。 ここから主郭下の堀切までまた少し登ります。
右側が細尾根で左側は造成された登山道です。 奥の案内板の場所に堀切があります。
眼前の山壁が本丸の西側、三の丸下の切岸になります。切岸下には西側の尾根を断ち切る堀切がありました。
左が主郭側、右が西側の細尾根になります。 この堀切は現在両端が土橋状になっており窪地のようになっていますが、これが昔のままの状態なのか登山道建設による改変なのかは不明です。
崩落した石垣の石材がごろごろしています。
石垣跡が一番わかりやすい場所です。 案内板には本丸の西に三の丸とありますが本丸の西側には2段曲輪が続きますので三の丸の下段と仮称しておきます。
本丸から西に二段目、仮称三の丸下段には円形の石組みがあり井戸跡や炉、狼煙台跡とも言われています。
本丸の西側の曲輪群には石垣の跡の石材が散乱しており、明確に石垣が残っているのはこの箇所だけでした。
案内板には本丸の西側が三の丸と書かれていますが、西には2段曲輪がありことらは下側の曲輪です。井戸跡と言われる円形の石積があります。
三の丸から。 写真左側の斜面が北側切岸になります。 正面奥は本丸の西側切岸です。
本丸の西側一段下の曲輪から こちらも石垣の石材多数が崩落して転がっていました。
本丸にて。
本丸から撮影 案内板には本丸の西側に三の丸と書かれていますが、西側には2段曲輪があり、仮称で三の丸上段としました。
わかり難いかもしれませんが斜面に石列が残っています。
虎倉城の本丸や二の丸周辺では石垣跡の他に大量の戦国時代の瓦片が散乱しており、戦国時代の山城では珍しい瓦葺の建物があったとされています。
本丸の東側にある二の丸は東西に長い曲輪でこちらにも石垣の跡や瓦片が見つかっており、特に二の丸周辺で発見された鬼瓦の破片は珍しいものです。 ただ、藪化が進んでいます。
本丸の東側にある二の丸は東西に長い曲輪でこちらにも石垣の跡や瓦片が見つかっており、特に二の丸周辺で発見された鬼瓦の破片は珍しいものです。 二の丸の先には東の出丸などもあるのですが二の丸の藪化が進んでおり探索は断念しました。
虎倉城より東に3kmほどのところにある江戸後期の大庄屋の住宅です。 河原氏は虎倉城の伊賀氏の与力で虎倉城の北を守っていた鍋谷城の城主をしていた家柄です。 河原住宅はいろんなドラマのロケ地になっており最近ではNHK版の金田一耕助シリーズで金田一耕助の下宿として使われています。
虎倉城より東に3kmほどのところにある江戸後期の大庄屋の住宅です。 河原氏は虎倉城の伊賀氏の与力で虎倉城の北を守っていた鍋谷城の城主をしていた家柄です。 河原住宅はいろんなドラマのロケ地になっており最近ではNHK版の金田一耕助シリーズで写真の離れが金田一耕助の下宿として使われています。
虎倉城より東に3kmほどのところにある江戸後期の大庄屋の住宅です。 河原氏は虎倉城の伊賀氏の与力で虎倉城の北を守っていた鍋谷城の城主をしていた家柄です。 河原住宅はいろんなドラマのロケ地になっており最近ではNHK版の金田一耕助シリーズで金田一耕助の下宿として使われています。 なお、蕎麦屋として食事も提供していましたが蕎麦屋の方は2023年12月24日(日)に閉店するそうです。
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