昭和3年(1928)9月21日に福住村長が陸軍に下付願いを出して、同年10月1日付で陸軍省より受領したものだそうです。
籾井城の南東麓にある寺院で、東側に4~5台停められる駐車場があります。西側の墓地脇に登城口があります。
禅昌寺西側にあり、籾井城についての詳細な説明が記されています。
禅昌寺西側の墓地脇にある登城口。登山道はなだらかな尾根道になっており、じきに南出丸の東側側面を通ります。
「籾井城へ」と「東廻り籾井城へ」と2方向に分かれていますが、東廻りの方は道が消失していますので、籾井城ヘの方にまっすぐ進んでください。
昭和3年(1928)5月に建立された石碑で、揮毫は本郷房太郎大将。本郷大将は篠山藩士の家に生まれ、青島守備軍司令官や第1師団長、第17師団長を歴任した軍人だったそうです。
昭和3年(1928)9月21日に福住村長が陸軍に下付願いを出して、同年10月1日付で陸軍省より受領したものだそうです。
白尾山山頂に位置し、規模は東西20m、南北40mほどで、中央東寄りに「籾城公園」の碑が建てられています。
規模は東西15m、南北10mほどで、東側端部は主郭東側の帯郭に連続して北郭群に繋がっています。
主郭の南東端に切り込み・窪地が見られ、二の郭に繋がっていたそうです。
北郭群の最下段の北端には、虎口を兼ねた土塁が築かれています。
北側の稜線は、東麓の本明谷に繋がる搦め手ルートとされていて、掘底に土橋がかけられています。
北郭の土塁の外側は堀切で断ち切られています。
北側の稜線はなだらかに傾斜しているため、2~3mの低い段で4段の段郭群で処理されています。
主郭にある城址碑で、大正13年(1924)に東宮御成婚記念で建立されたそうです。東宮とは皇太子殿下のことですので、当時の皇太子殿下は昭和天皇ですね。
主郭より南側を望む。丹波篠山の田園風景が見渡せます。
山頂から南側に延びた稜線先端に設けられた平場で、規模は10~15m、南北70mほどあります。
南出丸の北端に金毘羅宮が祀られています。山麓からの導線はこの郭の東側面を通るようになっていて、重要な場所だったと思われます。
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