麓の大津山阿蘇神社にあります。山頂の藟城から戦後現在地に下してきたそうで、両手で撫でると目標が達成できるそうです。
麓の阿蘇神社です。写真右側のカラーコーンの先に登城口があります。
オレンジの箇所が藟城になります。
左側にコンクリート製の遊歩道もあります。
門型ゲートですこちらから車で北側尾根の入口に行けるのですが、現在は土砂災害復旧のため通行止めになっています。
ここまではコンクリートの歩道ですが、この先は階段の山道になります。 山頂まで600mくらいです。
階段状の登城道です。
三の丸から麓まで長大な竪堀が掘られています。
遊歩道のために改変されたと思われますが、この切通の上に電波塔があり、そこより主郭まで段状の曲輪が続いていきます。 またこの切通を超えた付近に竪堀がありました。
電波塔下の登城道脇から見れます。
登城道入口付近から南側を撮影。
奥にかすんで見えるのが雲仙岳です。 鷹ノ原(南関)城は写真右端の見切れたあたりになります。
二の丸から撮影。 当日は阿蘇山噴火直後だったので噴煙が右側奥に見えています。
藟嶽城の別名です。
北側の登城道からは麓に下りられないようですが、尾根の4つの堀切(橋)までは通行できました。
本丸を北側に下りてすぐです。
本丸に一番近い橋です。
本丸から北へ2つ目の橋(堀切)です。
本丸から2番目の橋です。
資基橋、家稜橋、新蔵橋は近い位置にあります。一番北の鑑元橋は結構離れてます。
本丸から3つ目の橋になります。
新蔵橋から鑑元橋までは結構な距離と比高差があります。
本丸から4つめ、北側登城口からは最初の堀切と木橋です。
鑑元橋のところにあります。
本丸から北側につづく尾根には4つの堀切、そして橋が架かっています。 本丸から下りてすぐ資基橋、家稜橋・新蔵橋はあるのですが4つめの鑑元橋はけっこう離れています。
「幸せの小路」という願掛けポイントになっています。
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