五十公野城は新発田氏の一族である五十公野氏によって築かれた城です。「御館の乱」の恩賞に不満を抱いて上杉景勝に反乱を起こした新発田重家はかつて養子として五十公野氏を継ぎ、五十公野源太治長と称していました。1580年(天正8年)に兄・長敦の死によって重家が新発田氏を継いだため、重家の妹婿である長沢義風(道如斎)が五十公野信宗と名乗り、五十公野氏を継ぎました。信宗は翌1581年(天正9年)からはじまる重家の反乱に従いましたが、1587年(天正15年)10月に藤田信吉の軍勢に攻められ落城し、信宗も自刃しました。現在城址には土塁や堀切などの遺構が残っており、本丸跡には城址碑が建てられています。
目次
五十公野城に関するデータ 情報の追加や修正
45 m( 27 m)
内郭:-- 外郭:--
五十公野氏
着工 戦国時代
1587年(天正15年)
五十公野氏
曲輪、土塁、堀切
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 丘城(平山城) |
標高(比高) | 45 m( 27 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 五十公野氏 |
築城開始・完了年 | 着工 戦国時代 |
廃城年 | 1587年(天正15年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 五十公野氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/27 03:37:59
五十公野城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 |
|
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
五十公野城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する