この石垣の手前に中堀が掘られていました。
写真左側が堀跡です。
写真左に天守台が見えます。
写真左が天守台の扇の勾配です。
この奥が本丸です。
真ん中に見えるのが笠山です。
頂部が不自然に平面になっており矢穴が数多く開けられていることから元々はさらに大きな石だったと思われます。
石の多くに矢穴が開けられています。
中津江にあった寄組士梨羽家(三千三百石)の別邸茶室で現在は本丸内に移築されています。年末の城内煤払いの際、藩主が一時こここに休憩したことからこの名があります。
ここは安政の始め、毛利敬親が三の丸花江御殿に造った茶室です。明治22年に品川弥二郎が買取り現在の本丸跡に移築しました。
ここは安政の始め、毛利敬親が三の丸花江御殿に造った茶室です。建物は木造入母屋造り茅葺き平屋建てで4畳半の茶室と、3畳の水屋からなっています。
本丸跡に明治11年に建てられました。
明倫館の聖廟前に掛けられていた石橋です。現在は志都岐山神社本殿前の堀に移築されています。
初代から12代まで萩藩歴代藩主が祀られています。
当時はこの石垣の下まで海でした。
当時このあたりはもう海でした。
萩城西側の海岸線です。
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