南出丸から撮影。とにかく堀が深い
田中城ミニミュージアム内にあり。豊臣軍が作成した日本最古の陣取図らしいです。この図を基にした3Dジオラママッピングで、当時の籠城戦の様子を解説してくれます。係員さんに確認したところ、ミュージアム内は撮影OKでした
2019年4月、城址西麓にオープンしたミュージアム。立派な旧小学校校舎の一教室に設けられた小さな施設ですが、往時の合戦の様子を分かりやすく知ることができます
堀切(空堀)より撮影
きれいに削平されていて、そこそこな広さあり
主郭を取り囲む曲輪は急角度の切岸で守られていますが、ここは比較的緩やかで、少しうねっているように見えます
この空堀は、主郭を形成している丘陵の裾部に約三〇〇メートルにわたって巡らされています。現状での比高差は主郭側で約一〇メートル、対岸の三ヶ所に残る高台(物見やぐら?)とは、五.七~六.七メートルもあり、このままでも充分に堀の役割は果たしていたと思われます。しかし平成元年度に約二〇メートルと非常に狭い範囲でしたが調査を実施してみると、大がかりな土木工事をうかがわせる大規模な空堀が出現しました(案内板より抜粋) 往時はこの深さの堀で主郭部が取り囲まれていたのでしょう。写真左手が西捨て曲輪になります
復元された柵列の外から、主郭方向を見る
城域はそんなに広くありませんが、どこもかしこもこんな感じで素晴らしい
発掘調査により、主郭からは14棟もの建物跡が発見されたそうです
主郭方向からこの風景を眺めると、ちょっとやそっとでは攻め落とされないだろうという気持ちになりました
写真右手は主郭部、左手が南出丸。どちらの斜面も角度がエグい
南出丸から撮影。とにかく堀が深い
尾根上に細長く曲輪が伸びており、東側の切岸はなかなか急です
この地は、以前から地元で「弾正屋敷跡」と呼ばれており、和仁三兄弟のひとり、弾正親範の屋敷跡があったのではないかと言い伝えられていました。 調査の結果、掘立柱建物跡1棟、井戸跡1基のほか、「布堀」と思われる溝をはじめ多数の溝や50cmを越える非常に大きな柱穴などが確認されました(案内板より)
(伝)弾正屋敷跡より南出丸を見上げた風景
田中城跡の西側、地上約五・五mの阿蘇溶結凝灰岩の崖面に、七体の地蔵尊が彫刻されています。中央に主尊の閻魔大王、その左右に三体ずつの地蔵が並び、田中城の岩地蔵と呼ばれています。(中略)発願者は不明ですが、地元では田中城の安泰を祈ってつくられたとの説があります(案内板より)
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