釜蓋城は天正遣欧少年使節のひとり、千々石ミゲルの父、千々石直員が城主をつとめた城です。直員は有馬氏の家臣として龍造寺隆信と戦いますが、援軍の遅れもあって家臣とともに自刃しました。江戸時代に入り、島原半島の新たな領主として松倉重政が着任すると、島原城の築城のために釜蓋城は解体されて石垣などが利用され、廃城処分となりました。現在、城址は公園として整備されており、グラウンドや櫓を模した展望台などから千々石湾と千々石の街並みを望むことができます。また、毎年3月には鎧武者姿で松明行列を行う観櫻火宴が開催されています。
釜蓋城に関するデータ 情報の追加や修正
154 m
内郭:-- 外郭:--
千々石直員
着工 1569年(永禄12年)
1637年(寛永14年)
千々石氏、龍造寺氏、有馬氏
曲輪、空堀、石垣
模擬櫓(展望台)
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 154 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 千々石直員 |
築城開始・完了年 | 着工 1569年(永禄12年) |
廃城年 | 1637年(寛永14年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 千々石氏、龍造寺氏、有馬氏 |
遺構 | 曲輪、空堀、石垣 |
指定文化財 | |
復元状況 | 模擬櫓(展望台) |
更新日:2024/05/01 03:31:48
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | あり |
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