登山道入口にはパンフレットの他、杖も設置されています。
城域まで十八丁のつづら折れの長い登山道ですが、直登はなく迷いそうな場所にも道標が設置されていて安心して登る事ができました。
小石の転がる道が続きます。
第Ⅴ−1郭(伝茶室跡)前に建っていて、ここから城域になります。石垣はかなり崩落しています。
城内側から眺めると、崩落しているのが良く分かります。
第Ⅴ−1郭(伝茶室跡)入口からの眺めです。
城域内で最初に目にする良好な状態で現存する石垣です。
城域内で最初に目にする良好状態の石垣です。
十八丁の登山道を登り、この景色を見たらテンション上がってしまいました。ちなみにこの日配布の御城印は、雨模様で早目に本丸から撤収された「継承する会」の方からこの場所で頂く事ができました。
置塩城には竪堀や横堀といった防御設備はなく、切岸を多様しているそうです。
城内の至る所で崩落した石垣を見る事ができます。
置塩城は竪堀や横堀といった防御設備はなく、切岸を多様しているそうです。
Ⅱ−1郭南側の庭園前の石垣ですが、庭園の空間を広げるため、写真左手に続く石垣のラインより手前にずれています。
石垣で補強されている場所もあります。
第Ⅳ曲輪群(二の丸北曲輪群)への入口があったとされる場所に残る石垣で、見せるための平面的な石が積まれています。
樹木が伐採され広々とした空間です。眺望も良さそうでしたが、この日は生憎の雨模様でした。
石垣も残され、虎口の雰囲気があります。
ズームで撮影しました。
主郭を一段降りた西側の曲輪は視界も良好で、意外と広さもありました。
置塩城には竪堀や横堀といった防御設備はなく、切岸を多様しているそうです。
一部には石垣も残されています。
第Ⅰ−1郭(伝本丸跡)への登山道沿いでは、草木に紛れて崩落した石垣を見る事ができました。
攻城した2日前に崩落していた石垣の積み直し工事が終わったばかりで、まだまだ近くには立ち入る事はできませんでした。ちなみに写真では分かりにくいですが、石垣中央の巨石の左側には石垣の歪みを定期的に観測するための物差しが3箇所挿し込まれています。
右手のブルーシート奥が入口になります。こちらも周囲に石材が散乱しています。
曲輪内からの眺めです。
奥には曲輪間を隔てる土塁が見えます。
城内は至る所に石垣の崩落した石が散乱しています。
第Ⅲ−1郭(伝三の丸跡)方面の眺めです。
三の丸跡も広い空間です。
こちらも石材が散乱しています。
右手がⅡ郭で左手がⅢ郭になります。奥は主郭方面へと続きます。
置塩城跡で一番の見所と言える場所です。
置塩城跡で一番の見所と言える場所です。
Ⅵ郭(南西曲輪群)も石垣に使用されていたであろう石が散乱していました。城内で一番の見所である大石垣を見学するには、曲輪を更に二段降りることになります。
茶室跡からの眺めです。
第Ⅴ−1郭(伝茶室跡)手前に建っています。
第Ⅴ−1郭(伝茶室跡)方面の眺めです。
写真では分かりにくいですが、高い切岸の先に曲輪が続いています。
置塩城の麓にある神社で、暦応3年(1340)の創建と伝わります。五代城主赤松則房が天正5年(1577)羽柴秀吉に服して開城の際、城の守護神が分祀されました。
置塩城の麓にある神社で、暦応3年(1340)の創建と伝わります。五代城主赤松則房が天正5年(1577)羽柴秀吉に服して開城の際、城の守護神が分祀されました。
姫路市の天然記念物に指定されています。
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