金崎宮の背後に当たるニの曲輪、兵糧庫があったようで焼き米が出土しています。ニの曲輪から北へ伸びる尾根沿いに畝状竪堀群がぼんやりみえますが、ツキノワグマ出没情報があったので、遊歩道を外れるのはやめました。
旧敦賀港駅ランプ小屋の前にあり、マップなどもあります。
1890年、尊良親王・恒良親王を祀る神社として創建されました。ここも平坦地、曲輪だったのかな。
金崎宮のすぐ西にあります。左に見える花換の道を海を見ながら登っていきます。
月見御殿の手前、古墳近くにあります。 南北朝の戦い、守護斯波氏と守護代甲斐氏の戦い、元亀元年の合戦と多くの合戦の舞台になっています。
北半分が切り取られているそうですが、眺望がよいです。戦国時代にも月見をしたと言われています。
この地に立つと、敦賀を制した気分と背水の陣の気分が半々です。
三の曲輪は湧水があり水の手曲輪だったようです。南西に向けて豪快な竪堀が落ちています。
金崎宮の背後に当たるニの曲輪、兵糧庫があったようで焼き米が出土しています。ニの曲輪から北へ伸びる尾根沿いに畝状竪堀群がぼんやりみえますが、ツキノワグマ出没情報があったので、遊歩道を外れるのはやめました。
なかなか見応えある堀切。竪堀となって南西に落ちています。
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