都於郡城
都於郡城

[宮崎県][日向] 宮崎県西都市都於郡町


  • 平均評価:★★★★☆ 3.97(--位)
  • 見学時間:1時間7分(--位)
  • 攻城人数:168(593位)

案内板

案内板
西山豊前守慎之治

都於郡城跡

”春は花、秋は紅葉に帆をあげて
霧や霞に、浮舟の城”

と古歌にもうたわれた都於郡城(標高100m)は
建武2年(1,335)工藤祐経の子孫、伊東祐重が築城しました。以来、天正5年(1,577)までの242年間、伊東氏累代の居城として栄えました。
城は空濠や土塁をめぐらした、中世の典型的な山城で、本丸を中心に、五つの城郭(奥ノ城・ニの丸・三の丸・西の丸・本丸)など七つの山城を構え、のちに佐土原城や宮崎城など日向一円に四十八の城を築きました。
天正遣欧少年使節の正使としてヨーロッパに渡った伊東満所(マンショ)もこの城で生まれています。

   

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撮影場所

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カメラ情報

機種名Apple iPhone 6s
ISO25
F値2.2
ホワイトバランスオート
シャッタースピード1/1876
レンズ焦点距離4.2 mm
フラッシュフラッシュ未発光、オートモード
露出モード自動露出
露出時間1/1876
画像方向

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名城と合戦の日本史 (新潮文庫)

(文庫でなく新書版の感想)琉球王国統一戦争から始まり西南戦争まで、年代順に城を巡る戦いを網羅。巻末を見たら『週刊名城をゆく』に連載していたものを加筆編集したと。布陣図や家系図なども随所に使われており、読み物というより事典のように活用できそう。
個人的には、桶狭間の戦いに関して当時の海岸線を知り、目から鱗。鳴海城の辺りまで入り江になっていたとは。干拓・埋立てが進んだ現代では全く想像し難い、城や砦が設けられた意図が見えてきました。

こーたさん)

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