箕輪城は在原業平の子孫とされている長野業尚によって築かれた城で、たびたび城主が変わった城でもあります。武田氏に奪われてからは有力家臣である甘利昌忠、真田幸隆や内藤昌豊らが城主を務めました。さらに武田氏滅亡後は滝川一益の居城となりましたが、「本能寺の変」後には北条氏の城となりました。その北条氏も豊臣秀吉によって滅ぼされ、徳川家康が関東に入封すると箕輪城は井伊直政に与えられました。直政は箕輪城を近代城郭に改造したものの、わずか8年で廃城となりました。現在、城跡には空堀や土塁の一部が残るだけで建造物はひとつもありませんが、「郭馬出西虎口門(櫓門)」と「本丸西虎口門(高麗門)」のふたつの木造城門の復元が計画されています。
目次
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箕輪城に関するデータ 情報の追加や修正
274 m
内郭:-- 外郭:47 ha
長野業尚
着工 1512年(永正9年)
1598年(慶長3年)
武田氏、北条氏、井伊直政
長野氏、内藤氏(武田氏城代)、北条氏、滝川一益、井伊直政
石垣、土塁、空堀、馬出し、井戸
国史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 274 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:47 ha |
築城主 | 長野業尚 |
築城開始・完了年 | 着工 1512年(永正9年) |
廃城年 | 1598年(慶長3年) |
主な改修者 | 武田氏、北条氏、井伊直政 |
主な城主 | 長野氏、内藤氏(武田氏城代)、北条氏、滝川一益、井伊直政 |
遺構 | 石垣、土塁、空堀、馬出し、井戸 |
指定文化財 | 国史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/26 03:24:18
箕輪城へのアクセス情報 情報の追加や修正
あり
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | あり |
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八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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