今はただの木橋ですが、かつては多門櫓のような建物だったようで、廊下橋と呼ばれます。橋の下は石垣づくりの堀切です。
城内側です。
シダの陰から石垣がのぞいています。
今はただの木橋ですが、かつては多門櫓のような建物だったようで、廊下橋と呼ばれます。橋の下は石垣づくりの堀切です。
石が新しいようにも見えます。近年の積み直しでしょうか。
この4段の石垣が確認されたのは2019年7月だそうです。岩村城の有名な6段石垣より段数は少ないですが、横幅はこちらのほうが広いですね。
北の丸は横幅が狭く細長い郭です。特に本丸下の段とつながるこのあたりはくびれて狭くなっています。ほかの郭も決して広いとはいえず、大軍はとても籠城できません。最後の抵抗を試みる詰めの城という位置づけなのでしょう。
水の手の斜面に2つの池があり、上の池が雄池、下が雌池です。
雌池には水がありました。
「4段」といわれますが、5段あるように見えますね。
ちょうど日が沈むところでした。
幅が狭く、直角に道を曲げる桝形虎口を作れないところに無理やり作って、少しだけ角度をつけています。
石段を上がりきったところに建物跡の四角い石列があります。非常に狭苦しい配置です。
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