渡城趾碑と長島氏家譜の石碑が民家の玄関先にあります。17代鳥居忠吉は松平清康、広忠に仕え、その子元忠は家康に仕え、家康関東移封に伴って下総国矢作城4万石へ移りました。
その後、鳥居氏は代々当地に残り、本家は途中から養子姓を名乗り長嶋氏に改め、分家が鳥居氏を名乗りました。
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