西平城跡は南信濃の国衆である小笠原彦次郎貞長が居城・久米ケ城の西の守りを固めるために築いた支城とされます。その後、武田勝頼が敵対する織田・徳川氏に対する防衛拠点(境目の城)として整備しました。しかし1582年(天正10年)の織田軍による武田領侵攻が開始されると、在陣していた松尾城主・小笠原信嶺が織田方に寝返り落城したと考えられています。現在城址には土塁や堀切、竪堀などの遺構を確認することができます。また登城口は浄玄寺の墓地にあります。
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805 m( 155 m)
内郭:-- 外郭:--
小笠原貞長か
着工 貞和年間(1345年〜1350年)か
1582年(天正10年)
小笠原氏
曲輪、土塁、竪堀、横堀、堀切、枡形虎口、石積
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 805 m( 155 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 小笠原貞長か |
築城開始・完了年 | 着工 貞和年間(1345年〜1350年)か |
廃城年 | 1582年(天正10年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 小笠原氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、竪堀、横堀、堀切、枡形虎口、石積 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/30 03:57:08
項目 | データ |
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アクセス(電車) | |
アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 浄玄寺駐車場 |
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