ここに鶴ヶ城本丸から移築された御三階があります。
左にあるのが鐘楼、奥に御三階が見えます。
鶴ヶ城本丸から明治3年にこの阿弥陀寺へ移築された櫓です。
玄関の唐破風は鶴ヶ城本丸御殿の玄関の一部を配しています。
会津藩家老西郷頼母の屋敷跡です。戊辰戦争の鶴ヶ城攻防戦の初日に西郷家婦女子21人がこの屋敷内で自刃したことで知られています。
奥が伏兵郭です。
現在は県立博物館になっています。
現在は県立博物館の裏手にあたります。
鶴ヶ城の南の入り口です。
鶴ヶ城の南の外濠代わりだった湯川に掛かる橋です。
左側が二の丸土塁です。
右奥が二の丸門です。
東門ですれ違った地元のご老人に教えていただきました。当時は廊下橋は吊り橋になっていてもしもの際はここの金具を外して橋を落とすことができたそうです。
東門ですれ違った地元のご老人に教えていただきました。当時は廊下橋は吊り橋になっていてもしもの際はここの金具を外して橋を落とすことができたそうです。
ここも東門ですれ違った地元のご老人に教えていただきました。よく見ると石垣表面が微妙に膨らんで丸みを帯びています。
大手口の方角です。すぐ下には太鼓門が見えます。
磐梯山や滝沢峠の方角です。
天寧寺町口の方角です。写真左の方角には飯盛山があります。
戊辰戦争の鶴ヶ城攻防戦の際、西軍が砲台を築いた山です。
手前正面の山が向羽黒山城です。
左奥が干飯櫓入り口の階段です。
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