太平記ゆかりの地 足利尊氏滞在の長屋氏屋敷跡 文和二年( 一三五三年)六月十三日北朝の後光厳天皇は南朝軍に京都を奪われ、足利義詮らと共に垂井へ避難され、一時、垂井の長者長屋氏の屋敷を仮御所にされた。 その頃、原、峰屋らの南朝軍がここを襲うと聞き、急いで美濃国守護土岐頼康の居城で揖斐小島の頓宮へ移られた。 後光厳天皇は、八月二十五日足利尊氏の西上を聞き、頼康の造営した垂井頓宮へ戻られた。九月三日尊氏の大軍 、尊氏の大軍が垂井に到達し、尊氏は直ちに天皇に拝謁、天皇を安堵させた。 尊氏の垂井での宿舍は、垂井の長者長屋氏の屋敷で、後光厳天皇の仮御所になった所である。その後、尊氏はここで病気になり、天皇の京都への還幸は遅れた。十七日尊氏の病気もなおり、天皇を中程にし、義詮が先陣、尊氏が後陣の隊列をつくり、垂井頓宮を後に京都へ出発された。
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