彦根城の見所のひとつが、この天秤櫓です。
この天秤櫓が築かれたのは、築城開始から数年後のことで、彦根藩主井伊家の歴史書である『井伊年譜』によれば、この櫓が長浜城の大手門を移築したものであると記されています。
そして昭和30年代に行われた解体修理では、この櫓が移築された建物であることや、往時の長浜城主内藤家と伝える紋瓦なども確認されています。
(ただし天秤櫓の前身が長浜城大手門と断定するだけの証拠はないそうです)
メインゲートである表門から石段をのぼると、こんなふうに迫力ある石垣と櫓、そして大きな橋が見えてきます。
この部分は尾根を削りとってできた道で、「堀切(ほりぎり)」と呼ばれます。
反対の大手門側からのぼってくると、こう見えてきます。
天秤櫓は大手門と表門からの道が合流することを考えても、彦根城の守備の要の位置に築かれた櫓だということがよくわかります。
本丸に侵入し、天守へ向かうにはこの廊下橋を渡らなければなりません(もしくはこの高い石垣をのぼらなければなりません)ので、敵が攻めてくると、橋を落すことで守備の時間を稼ぐような仕組みになっていました。
上にまわってみましょう。
この廊下橋はドラマなどの撮影にもよく使われていますね。
まさに橋を中心に左右の両隅に2階建ての櫓を設けている構造が天秤のように見えることから、「天秤櫓」と呼ばれるようになったそうです。
ちなみに上から見ると天秤櫓は「コ」の字形をしています。
ただし両隅の櫓の屋根をよく見ると、棟の方向が異なっているのがわかると思います。格子窓の数も左右でちがいますし、けっして左右対称ではありません。
内側からの写真です。内部を見学することもできます。
また、この天秤櫓の石垣は、廊下橋を境にして左右で積み方が異なっています。
写真の奥(東側)の積み方は自然石をそのまま用いた、いわゆる「野面積み」で、手前(西側)は石と石の接合面を加工して積み上げる「打込み接ぎ(うちこみはぎ)」と呼ばれる積み方になっています。
この打込み接ぎの石垣は1854年(嘉永7年)におこなった修理の際に積み直したものだそうです。
またよく見るとわかるのですが、打込み接ぎの石垣は石を目地にそって並べて積み上げるのではなく、下方に落とし込むように積む、いわゆる「落とし積み」の手法がとられています。
ここまで「落とし積み」がはっきりと残る石垣は全国にもそれほど多くないので、ぜひ見てみてください。
なお、野面積みの石垣は、築城当初に越前の石工(いしく)たちによって築かれたと伝わっており、細長い石を奥に伸びるように並べた「牛蒡積み(ごぼうづみ)」と呼ばれる手法で積まれています。
天秤櫓を通る際は、石垣にも着目してみてくださいね。