平瀬城は小笠原氏の家臣である平瀬氏の居城として知られています。1550年(天文19年)に小笠原長時が、武田信玄に攻められた際に林城からこの城に撤退しています(その後、村上義清を頼って葛尾城に逃走)。「砥石崩れ」で武田氏が敗れた隙を突いて一度は奪還したものの、翌年に再度攻められ落城しました。信玄は城を改修し、原美濃守虎胤を城主としています。現在城址には土塁や堀切のほか、大きな連続堀切と長大な竪堀群などの遺構が残っています。国道19号線沿いにある登山道の入口に案内板があります。
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716 m( 152 m)
内郭:-- 外郭:--
平瀬氏
1553年(天文22年)
平瀬氏、原虎胤(武田氏)
石垣、土塁、曲輪、堀
市特別史跡
項目 | データ |
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曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 716 m( 152 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 平瀬氏 |
築城開始・完了年 | |
廃城年 | 1553年(天文22年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 平瀬氏、原虎胤(武田氏) |
遺構 | 石垣、土塁、曲輪、堀 |
指定文化財 | 市特別史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/30 03:48:16
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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