城址らしさが演出されています。奥に進むと菊池平野が一望できます
亀尾城は菊池十八外城に数えられる城跡で、菊池本城の南西方向の重要な拠点として、菊池一族が整備したとされています。中世の頃は、板井の地区名をとって板井城と呼ばれていました。 この地は花房台地の中央を横断する板井川の北縁にあたる交通の要衝で、古くから政治的にも重要な場所だと考えられてきました。また、城跡の高台から菊池平野が一望できるため、南北朝時代には軍事上の要地となり、九州探題今川了俊とその子仲秋が菊池を攻めた際には、攻略の拠点として万を超える大軍を2年間にわたって駐屯させたこともありました。現在は公園として整備され、豊前濠や曲輪が復元されています。(案内板より)
城址らしさが演出されています。奥に進むと菊池平野が一望できます
主郭の土塁上にあり
豊前濠と呼ばれる立派な空堀が復元され、主郭と二郭を取り囲んでいます
現地案内板には「城の中心域は二つあり、一つは社殿のある「屋形跡」と・・・」と書かれていて、神社が鎮座するこの場所も城域だったと思われます
東麓より
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