登り石垣 登り石垣は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄·慶長の役)(1592~1598)の時に秀吉軍が朝鮮半島南岸に築いた倭城に多く用いられた構造物で、城域の遮断線や、山上と山麓の一体化、港湾防御などの目的を持っています。米子城の築城を開始した吉川広家は朝鮮出兵に参加しており、米子城築城に際し、この倭城に多様された登り石垣を縄張りにとり込んだ可能性が考えられます。 登り石垣が確認されている日本の城(平成2 9年3月現在) 竹田城、淡路洲本城、彦根城、伊予松山城 登り石垣が有名な倭城 西生浦偻城、蔚山倭城、熊川倭城、釜山浦倭城、機張倭城など(案内板より抜粋)
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