中国式山城・怡土城の第4望楼跡では、高祖城に関連すると思われる遺構が確認されています。望楼跡の平地が曲輪とされ、その北下には写真の堀切がはっきり残っています。これ以外にも、北西下に小さな削平地が確認できます
西麓より撮影。手前に怡土城の土塁が構える
高来寺登山口から少し登った場所にあり。説明板がなく、詳細はよくわかりません
中国式山城・怡土城の第4望楼跡では、高祖城に関連すると思われる遺構が確認されています。望楼跡の平地が曲輪とされ、その北下には写真の堀切がはっきり残っています。これ以外にも、北西下に小さな削平地が確認できます
怡土城第1望楼跡周辺も戦国期に利用されていたようです。写真は、第1望楼跡南側の小さな曲輪で、この南西下にはさらに小さな曲輪があり、南東下には浅い堀切が残っています
怡土城第1望楼跡南側の曲輪の南東下に浅く残る堀切。高祖山山頂側に堀切があるため、第1望楼跡周辺は高祖城を攻める際の付城の可能性もあるようです
高祖城は山頂部の上ノ城と、その西下に位置する下ノ城に大きく分かれます。そのうち下ノ城は上下二段の曲輪を中心に構成されており、写真は北側(上段)の曲輪になります。落葉に覆われていましたが、礎石と思われるものも確認できました
上段の曲輪の虎口部分と思われる場所から見下ろす
下段の曲輪の西下に残っています
上ノ城の北側斜面は複雑な造りになっていて、どこもかしこも遺構っぽく感じます。縄張図と照らし合わせながらの攻城でしたが、複雑がゆえに確認はなかなか難しかったです
北側斜面下から撮影。複雑な造りをしていて、また、多くの石も転がっている
上ノ城は大きく三段の曲輪からなっており、写真の石段は、二段目の曲輪北側の虎口になります
西側を見下ろす
上ノ城と南東側の尾根を断ち切る大きな堀切
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