石垣に紅葉が似合うことに気づかされました。
負の遺産とされ埋め立ての危機から蘇った八幡堀。今あるのは市民運動の賜物だそう。ところで、この石垣は築城当時のものなのでしょうか?
要害のためではなく、城下町の発展に寄与した水堀です。 【近江八幡観光物産協会HPより】 八幡堀は天正13年(1585年)に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町したことに始まります。秀次は、八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来する船を城下内に寄港させることで、人、物、情報を集め、さらに楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけました。
大手道を登って行くと眼前に現れます。
ロープウェイを降りてすぐのお願い地蔵尊付近で撮影。(写真差し替えのため再アップ)
石垣に紅葉が似合うことに気づかされました。
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僕らは攻城の折に、何もない城址だとつい「残念ながら遺構は見られない」と思い、書いてしまいますよね。事実そう感じてしまうことで仕方ない。そんな中でも何かいい所を見つけて書きたいものです。そんなご同輩や私に、この本!
城って、造るのが大変で注目されるのはそこだと思いますが、落城することもあれば、天災で壊れそのまま廃城になることもあったわけで、そうした例を数多くの文献を引用して紹介してくれています。完全に破却される城がある一方、現代も遺構がある城址も存在する訳や、植栽の手入れやごみ・糞尿の処分などメンテナンス、門限や賭け事などのルール(城掟)といった生活観まで教えてくれます。
城掟ってものが残っていることを知りました。機会があれば見てみたいな。
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