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【クーデターで読み解く日本史】冷静沈着な清盛と嫉妬に狂った義朝の明暗――平治の乱
平氏と源氏、武士中心の世の中をつくったふたつの勢力が争ったのが平治の乱です。直前に起きた保元の乱後の体制に対する不満が派閥抗争に発展したわけですが、勝ったのは平清盛であり、源義朝は敗れて命を落とします。
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【クーデターで読み解く日本史】武士が歴史の表舞台で力を握った戦い――保元の乱
貴族の時代から武士の時代への転換点といえるのがこの保元の乱です。武士がいなければ政治闘争に勝てないという事実とそれに伴う混乱はこのあともつづいていきます。
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【クーデターで読み解く日本史】奥州藤原氏と「武門の棟梁」の誕生――後三年の役
前九年の役につづいて起きたのが後三年の役です。奥州藤原氏の祖、藤原清衡が一族の後継者になった争いですが、同時に関東における源氏の名声が大きく高まった事件でもあります。
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【クーデターで読み解く日本史】源氏活躍の陰で力をつけた勢力とは?――前九年の役
桓武天皇の時代におこなわれた蝦夷征討のあと、大和に帰順した安倍氏らが東北を治めていました。しかしその勢力が拡大しすぎたたために滅亡させられることになったのが前九年の役です。
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【クーデターで読み解く日本史】源氏が東国に基盤を築いた事件――平忠常の乱
もともと平氏の勢力が強かった関東において、源氏が力を伸ばしていくきっかけとなったのが平忠常の乱でした。 忠常を討伐した源頼信は河内源氏の祖で、源氏による東国支配の礎を築きました。
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【クーデターで読み解く日本史】天下を揺るがした武士の反乱――承平・天慶の乱
平将門・藤原純友がそれぞれ東と西で起こした反乱を承平・天慶の乱と呼びます。彼らは敗れ去ったものの、武士の力を貴族たちに知らしめる結果となりました。
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【クーデターで読み解く日本史】藤原氏のはみ出し者が起こした悪あがき――藤原広嗣の乱
物事には原因と結果があるわけですが、東大寺の大仏がつくられた背景も、もとを辿れば藤原広嗣の乱の影響かもしれません。
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【クーデターで読み解く日本史】藤原氏隆盛の礎となったクーデター――長屋王の変
異例の出世をとげた左大臣・長屋王は藤原武智麻呂ら四兄弟の画策により自害に追い込まれました。長屋王夫妻の墓は平群町にあります。
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【クーデターで読み解く日本史】中央集権のカタチをめぐる争い――乙巳の変
昔の教科書では「大化の改新」として習った方も多いと思いますが、この改革の端緒となった蘇我氏打倒のクーデターを「乙巳の変」と呼んでいます。
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新連載「クーデターで読み解く日本史」がはじまります [お知らせ] | 攻城団 全国のお城好きによるクチコミや写真の共有サイト
榎本先生の連載「クーデターで読み解く日本史」がはじまります。「応仁の乱」や「本能寺の変」など、日本史上に起きた変や乱を取り上げることで、歴史の全体像を俯瞰する手がかりにしています。こうした謀反や革命が起こった経緯とその結果も踏まえて読んでいくことをオススメします。
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【殿様の左遷栄転物語】第5章まとめ 後ろ盾をなくしてしまえば……
江戸時代に異例の抜擢をされた人たちを見てきましたが、決め手となったのはやはり将軍との関係性です。 異例の取り立てだったからこそ、前任者や後任者のやっかみを買うのは当然のことだったのかもしれません。
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田沼意次の息子・意知の暗殺について、何らかの陰謀があった可能性があるそうです。息子を亡くし、さらに後ろ盾であった将軍・家治も病没したため、意次は失脚することになります。
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江戸時代を通じても田沼意次の存在は別格です。彼は革新的な経済感覚を持った人物で、有力大名たちと姻戚関係を結ぶなどして権力を保ちましたが、非常に人当たりのいい好人物という評価もあります。
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徳川吉宗が側用人を廃止して設置したのが御側御用取次です。加納久通と有馬氏倫のふたりが有名ですが、大出世とまではいきませんでした。側近を利用はするが権力を高めすぎない、吉宗のバランス感覚が見て取れます。
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「正徳の治」を主導した間部詮房と新井白石ですが、家宣のあとを継いだ家継がわずか8歳で亡くなり、将軍が交代すると幕政から遠ざけられます。このとき新将軍に就任したのが紀伊藩主・徳川吉宗でした。
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間部詮房とともに将軍・家宣を支えたのが新井白石です。白石は同時に儒学者として、家宣の師でもありました。
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6代将軍・徳川家宣の時代も甲府藩主時代の家臣たちが幕府の直臣として取り立てられました。 なかでも高崎藩5万石の大名にまで出世した間部詮房は有名ですね。
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側近、それも右腕と目されるほどに寵愛されると周囲のやっかみも生まれるというもの。新井白石らによる柳沢吉保への誹謗中傷はあまりにもひどいものでした。
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5代将軍・徳川綱吉の側近というと牧野成貞、柳沢吉保らの名前が浮かびますが、吉保よりも格上の側用人がふたりいたことをご存知ですか?
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【殿様の左遷栄転物語】第5章 地方から中央へ! 本社に栄転、成り上がる
江戸時代は良くも悪くも安定した官僚組織であったため、陪臣からの立身出世はむずかしかったのですが、仕えていた藩主が将軍家の後継ぎとなった場合にかぎりスライドしてして幕府の直臣となるルートがありました。