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【クーデターで読み解く日本史】慶喜の奇策を鮮やかに葬った薩長の逆王手――王政復古
大政奉還により幕府は倒幕勢力との武力衝突を回避することに成功しましたが、徳川家を完全に排除したい薩長方はあの手この手で幕府を追い込み、最終的には鳥羽・伏見の戦いと戊辰戦争と武力による倒幕を実現することになります。
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【クーデターで読み解く日本史】逆転の発想で徳川の復権を狙った慶喜の一手――大政奉還
所領は大きくても江戸から遠く幕政にも参加させないという外様大名の格付けが幕藩体制のキモでしたが、薩摩藩と長州藩という大藩が手を結んだことで、いよいよ鎌倉幕府以来700年つづいた武士による政治が終わります。 なおこの時点では慶喜は征夷大将軍職を辞職していないことも注目です。
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【サイン本プレゼントあり】「執権義時に消された13人」のご紹介
ウェッジから発売される榎本先生の最新刊「執権義時に消された13人」を5名の方にプレゼントします!
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【クーデターで読み解く日本史】義憤にかられた元役人の闘争――大塩平八郎の乱
与力というのは町奉行を補佐する武士のことで、部下の同心を監督する役人でした。 困窮する民衆のため、元与力の大塩平八郎は自らの蔵書5万冊を売って救済していましたが、これを奉行所は「売名行為」とみなしてまともに取り合わなかったため、武装蜂起にいたりました。腐敗ですね。
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【クーデターで読み解く日本史】天下泰平のための犠牲――大坂の陣
近年では戦国時代を締めくくったのが大坂の陣を言われていますが、これがクーデターかはさておき(単純に大勢力が少勢力を滅亡させたとも言える)歴史的には大きな出来事ですね。
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【クーデターで読み解く日本史】南朝の残党を隠れ蓑にした実力者の暗闘――禁闕の変
もうひとつの嘉吉の変がこの禁闕(きんけつ)の変です。足利義満に約束を保護にされた南朝方の残党が三種の神器を奪いに御所を襲撃するという事件でした。
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【クーデターで読み解く日本史】義満が巧妙に張り巡らせた同志討ちの計略とは?――明徳の乱
「六分の一殿」と呼ばれた山名氏一族の権力をそぐため、将軍・義満によって画策されたのが明徳の乱です。 この乱の結果、山名氏の領国は但馬・因幡・伯耆の3か国に減らされ、その他の旧領は論功行賞で畠山・大内・一色・赤松諸氏に分与されました。
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【クーデターで読み解く日本史】有力守護大名を弱体化させた義満の策略――土岐康行の乱
有力守護大名である土岐氏が将軍・義満に振り回されたのが土岐康行の乱です。 一族の内紛に幕府が介入したことにより、土岐氏の勢力を弱体化させることに成功しました。
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【クーデターで読み解く日本史】争いの発端となった二人が最後は共倒れ――観応の擾乱
軍事の天才・足利尊氏を内政面で支え続けた弟の直義でしたが、足利家の執事で側近であった高師直の存在により対立することになります。 南朝も巻き込んだ全国規模の兄弟喧嘩でしたが、最終的に当事者の直義も師直も死亡し、尊氏だけが生き残る結果となりました。
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【クーデターで読み解く日本史】南北朝時代の幕開けとなった大乱――延元の乱(建武の乱)
ついに決裂した後醍醐天皇と足利尊氏の争いが延元の乱(建武の乱)です。一時は尊氏を九州にまで追いやった天皇方でしたが、最終的には京を奪還されます。結果、吉野に逃れた後醍醐天皇が南朝を起こし南北朝時代がはじまります。
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【クーデターで読み解く日本史】北条氏の残党討伐をめぐる足利尊氏の思惑とは?――中先代の乱
マンガ『逃げ上手の若君』の主人公、北条時行が起こしたのが中先代の乱です。 この乱では足利尊氏に敗れた時行ですが、その後も抵抗をつづけ、二度にわたり鎌倉を再奪還しています。
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【クーデターで読み解く日本史】政権を朝廷にもたらした後醍醐天皇の執念――元弘の乱
後醍醐天皇とその倒幕計画に同調した勢力により起こされたのが元弘の乱です。 なお『国史大辞典』では全体を「元弘の乱」と呼び、後醍醐天皇が隠岐に配流されるまでを「元弘の変」と呼んでいます。
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【クーデターで読み解く日本史】鎌倉幕府の弱体化が表面化した出来事――津軽大乱
鎌倉時代の末期は北条得宗家の執事にあたる内管領が権勢を振るっていました。 裁定すべき内管領・長崎高資が対立する双方から賄賂を受け取り紛糾させてしまったのが津軽大乱(安藤氏の乱)です。
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【クーデターで読み解く日本史】実力者に虐げられていた主人の反抗――平禅門の乱
霜月騒動によって権力を握った平頼綱でしたが、当然反発も生まれるわけで、執権・北条貞時により滅ぼされました。貞時の娘2人を含む、一族93名が死亡したとか。
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【クーデターで読み解く日本史】源氏を名乗った御家人の浅はかさ――霜月騒動
こっちは「十一月騒動」じゃなく「霜月騒動」なんですよね。弘安合戦、安達泰盛の乱、秋田城介の乱など、いろんな呼び名がある事件です。 幕府に仕える御家人と、得宗家に仕える御内人との対立により、有力御家人・安達氏が滅ぼされました。
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【クーデターで読み解く日本史】一族の意思統一を図った時宗の残忍な粛清――二月騒動
二月騒動は執権・北条時宗が異母兄・北条時輔と得宗家に次ぐ勢力があった名越流北条氏を討伐させた北条氏一門の内紛です。 なぜ「如月騒動」じゃなく「二月騒動」なんでしょうね。
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【クーデターで読み解く日本史】北条義時を謀殺!? 後妻の壮大な野望――伊賀氏の変
権力者が亡くなると争乱が起こるのは世の常ですが、北条義時の死後に起きたのが伊賀氏の変です。 今回も北条政子が未然に防いでいるのですが、彼女の危機察知能力と対応能力の見事さが伺えますね。
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【クーデターで読み解く日本史】勝敗を分けたの二枚舌――和田合戦
泉親衡の乱で和田義盛の甥である胤長は配流となり、屋敷も没収となります。面目を失った義盛は同族の三浦義村らと挙兵するも義村の裏切りにあい敗れます。 なぜこれが「和田義盛の乱」ではなく「和田合戦」と呼ばれているのかはよくわかりません。
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【クーデターで読み解く日本史】逆らう者は将軍でも間答無用――比企能員の変
北条氏による執権政治のはじまりとなるのがこの比企能員の変です。将軍の後継者争いであると同時に、その後見の座をめぐる北条氏と比企氏の争いでもありました。
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【クーデターで読み解く日本史】寵臣も後ろ盾を失えば孤立無援――梶原景時の変
鎌倉時代の初期には多くの粛清(実態は政争と謀殺)が繰り返されますが、最初に起きたのが梶原景時の変です。 頼朝の側近だった景時の評判が悪すぎたことも問題だったのでしょう。