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ドライブ好きで何かないかなと思い 百名城+続百名城 巡りを始めました。
スタンプだけではなく、本丸に行く、城の歴史を確認する等を自分で決めてめぐってます

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本能寺の変での黒幕は豊臣秀吉
このころの織田信長の暴君ぶりは、相当なものだったと考えられています。
明智光秀も領地没収される等クーデターを起こす要因はあったと考えられますが、
用意周到な光秀がクーデター実行するにあたり、諸国の大名が敵に回ることは予測していたと考えられます。
そんな光秀が単独でクーデターを起こす事は考えにくいです。
そこで豊臣秀吉が密約をします、「クーデター後には見方になり2人で天下を収める」といった約束です。
そうすると秀吉の四国攻めからの素早い戻りも納得できます。
ところが味方になる予定であった豊臣は、明智群を攻め滅ぼしてしまいます。
味方になる事を予定していた明智群は対戦を予定していないので、あっさり敗北しました。
これは全て豊臣秀吉の計画の内(秀吉天下取り計画)であったと考えられます。
完璧主義の光秀としては、豊臣秀吉の裏切りは一生涯絶対許せないものであったと考えます。

その後、光秀は徳川家康にかくまわれ生き延びたと考えます。
また光秀は先の一件から表舞台には出ないようにし家康の参謀になったと考えます。
元々家康は、周りに振り回される傾向があり、負けいくさ続きでした、自分から打って出るタイプではなかった、
ところが不利な状態での関ケ原合戦では、自ら出て大勝利を収めています。
関ケ原合戦は表向きは石田光成VS徳川家康ですが、一皮むけば豊臣家VS明智光秀になります。
その後、大阪の陣で豊臣攻めも明智光秀が裏で糸を引いていた考えます。
光秀としては、豊臣を絶対許せない存在であったのでしょう。
最後に光秀存在の理由として、3代将軍の名前は「家光」家康と光秀の一文字ずつを使っています。
日光(家康の墓地)を一望できる高台は「明智平」と命名されています、これは家康の側近「天海」が命名されたと伝えられています。
天海=光秀は同一人物かは疑問が残ります、(当時の人が116歳まで生きたとは考えにくい)

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今日のレビュー

天下 家康伝 上 (文春文庫)

徳川家康の生涯を描いた小説です。
大阪の陣が終わり江戸から駿府に向かう途中、泉頭の地で過去を回想する場面から始まります。一向一揆との戦い、三方ヶ原での敗北、嫡男信康の自刃、伊賀越えの窮地、小牧・長久手での辛酸、多くの出来事が家康の心情とともに描かれます。「家康の考える天下とは何か」が物語の主軸となっており、家康の生き様を感じることができました。
本作品は大河ドラマ「天地人」の原作者でもある火坂雅志氏の遺作になります。

伝もものふ山田(ヤマー)さん)

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