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小太郎さんの攻城記録一覧(履歴)

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 新井城(神奈川県三浦市) を攻城

 三崎城(神奈川県三浦市) を攻城(2019/08/31)

三崎市役所に車を止めて登城。三崎城跡の石碑と案内板を確認。
土塁の一部は現在も残っているが、他に遺構らしきものは見つからない。

 都城(宮崎県都城市) を攻城(2019/09/04)

飫肥城からの帰りに登城。城山公園の入口に建つ大手門は史実にはない城門であるが、周囲の情景にマッチした雰囲気を醸し出している。

 松任城(石川県白山市) を攻城

 小松城(石川県小松市) を攻城

 鞆城(広島県福山市) を攻城(2019/09/09)

海岸通りに車を止めて古風な街並みの坂道を歩いて登城。
本丸跡にある歴史民族資料館は月曜日は休館となっていて残念。
本丸から見る鞆の浦の眺望はなかなかの絶景で、足利義昭公もこの景色を眺めて幕府の再興を願ったのであろうか。

 神辺城(広島県福山市) を攻城(2019/09/09)

黄葉山の山頂に築かれた神辺城跡の無料駐車場から登城。
まだまだ残暑は厳しいが、この日は天気が良く、心地よい風が吹いていた。
福山城の築城時に多く流用されたたため、石垣はほとんど失われているが、本丸下に少しだけ残っている石垣に感激。

 福山城(広島県福山市) を攻城(2019/09/09)

本丸東側の二の丸の南西端から北西端には、かつては神辺城から移築された一番櫓から四番櫓の4つの櫓が建ち並んでいた。一番櫓跡以外は大部分が破却されているが、神辺城とセットの登城であったので、どうしても確認したかった。一番櫓跡から三番櫓跡までは何とか確認できたが、四番櫓跡は痕跡も見つからなかった。

 上山城(鹿児島県鹿児島市) を攻城

 鹿児島城(鹿児島県鹿児島市) を攻城(2019/09/13)

御楼門が復元工事中のため、大手門から入城できない。
期待していた桜島も曇がかかってよく見えなかった。
御楼門の完成後に桜島見学とセットで再訪したい。

 知覧城(鹿児島県南九州市) を攻城(2019/09/13)

本丸・蔵之城・今城・弓場城の4つの曲輪を中心に登城。各曲輪は木々が伐採されてよく整備されている。
シラス台地の浸食谷を有効に利用した空堀は実にダイナミック。

 一宇治城(鹿児島県日置市) を攻城(2019/09/13)

現在、一宇治城跡は城山公園として綺麗に整備されている。
各曲輪の呼称が当時のものではなく、現代風に変えられているのは非常に残念。

 伊作城(鹿児島県日置市) を攻城(2019/09/13)

よく整備された山城という印象。
登城者用の駐車場が完備されており、遊歩道も多少のアップダウンはあるがしっかり整備されて歩き易い。
城域の広さもちょうどいい感じ。

 東福寺城(鹿児島県鹿児島市) を攻城(2019/09/14)

現在は多賀山公園として整備されており、城跡の名残はあまり感じられないが、北側の城域へ入ると急に城跡らしい雰囲気に変わる。

 飫肥城(宮崎県日南市) を攻城(2019/09/14)

広大な旧本丸には飫肥杉が立ち並び、辺り一面が苔で覆われている。古城感を存分に感じることができる。

 飯野城(宮崎県えびの市) を攻城(2019/09/14)

大手門を通り過ぎて「射場」が飯野城の駐車場になっている。さらに本丸・物見曲輪まで車道が通じており、車を乗り入れることができる。
島津義弘公が26年間も在城した城だけに城内のあちこちに「義弘公を大河ドラマに!」と書かれた幟旗が掲げられている。

 内城(鹿児島県鹿児島市) を攻城(2019/09/14)

清水城の登城のついでに訪問。現在は何も遺構が残されていないため、城跡であった大龍小学校の校庭をデジカメに収めて登城終了。

 清水城(鹿児島県鹿児島市) を攻城(2019/09/14)

付近に駐車場が見つからなかったので、清水中学校前の道に駐車して登城。勾配はそれほど急ではないが、道が荒れていて歩き難い。
足元の竹の倒木や頭上の蜘蛛の巣など、この道は色々と注意しながら歩く必要がある。

 十市城(奈良県橿原市) を攻城(2019/09/26)

現在、周囲は長閑な田園風景が広がっているが、城跡の痕跡は何も見つからない。
周囲から一段高くなった田畑の片隅に「十市城址」の碑が建っているのみであるが、往時はここを中心に城域が広がっていたかと思うと感慨深い。

 木浦城(愛媛県今治市) を攻城(2019/10/05)

縄張は連郭式の単純な構造であるが、急峻な独立峰の山頂に築かれたため要害堅固な城郭で、また周辺の監視機能に優れていたと思われる。
ここからは潮待ちの港として栄えた木浦港が一望できる。

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今日のレビュー

図説 徳川家康と家臣団 平和の礎を築いた稀代の〝天下人〟

中の写真、図が多くて「読みやすそう」と手に取りました。家康を生んだ松平氏について、戦国大名徳川家康の苦悩、家康を支えた家族、家臣団についてなど最新の情報で詳しく著されています。大河ドラマの予習としてもいいですが、「ここはこう解釈されたのか」と復習しながらよむのも一興です。今まで定説になっている「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の家康像とは、少し違った家康像が見えてきます。

黒まめさん)

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