最初に、私は山城に関して殆ど知見はありません。ここに書くこともとても僭越です。山城にはその城の遺構(土塁・竪堀・曲輪・切岸等)を見るためだけに行っています。それでも、福井永平寺町の波多野城から見える白山・上平寺城から近くの弥高寺跡の景色等々は素晴らしいです。
山城に行く際に留意していることは、アクセスです。
2022.10に信楽の小川城に行ったときですが、その駐車場までの道程が大変でした。車幅ぎりぎりで、自分の運転技術では到底バックなどできない状況でした。攻城団の城メモには、その旨記載されています。
また、普段山城に行っている方と、そうでない方では林道というだけでも感じ方が違うと思います。もっと客観的な情報を得る必要があるかなと思っています。私はYouTubeで確認する場合もあります。
城を訪問するに際し、必須アイテムです。団員の方からの情報(コメント・写真等)がとても役立っています。
数年前は、添付した写真のような場面に出会ったことがありませんでした。
今では、なくてはならないものです。これからの期待では、ないかもしれませんが、永続的に存在してほしいです。
2024年に訪問したいお城は、根室のオンネモトチャシ群です。
費用・時間・熊と個人的な課題はありますが、目標に設定しました。
普段は今までのとおり、山城をメインに、その堀・土塁等を楽しめればと考えていますが、何の拘りもありません。御城印・訪れた先々の名産品・食事についても楽しみたいと思っています。
兵庫県の赤穂城です。
小学校の遠足で訪れました。赤穂御崎・塩田跡とのセットでした。2度目のお城は姫路城です。これも小学校の遠足です。
郷里は岡山市ですが、当時(私の周辺だけかも)、後楽園に行こうという話はあってもなぜか岡山城に行く話は殆どありませんでした。
小さい頃、新潟県糸魚川市出身の父が、頻繁に上杉謙信公と春日山城の話をしていました。大河ドラマ”天と地と”の話題が出ていたことも覚えています。
父は勘当同然で、岡山に来たそうです。
私が春日山城を訪れたのは、攻城団に入ってからです。“攻城した”ボタンを押した時は本当に嬉しかったです。今はもうかないませんが、父と春日山城に行きたかったです。
宇陀松山城です。
相当前に石垣に関する調査で何度も登城しました。
仕事絡みで関西地区の城・寺社仏閣に赴くことが多くあります。地盤と地震(免振)に関連して構造物(城では天守・櫓)のある城には多く携わりました。守秘義務があるので城の名は言いたいのですが、言うことが出来ません。
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書いてあることの半分も理解できていないけど、狩野山楽について丁寧に紹介されている。「京狩野すごい」や「山楽は天才」というありきたりなスタンスではなく、むしろ「ほかの狩野派の面々が永徳の才能にひれ伏して早々に別のスタイルを模索したのに対して、山楽は最後まで永徳に追いつかんともがいた人」としてちょっと不器用な人扱いになっている。だけど、だからこそ寛永期の二条城改修において曲がりなりにも永徳様式で障壁画を描けたのは山楽だけだという評価にもつながっていておもしろい(「松鷹図」のことです)。
図版も多数収録されており、図版と評論で二度楽しめます。海北友松のパートは勉強不足でまだちゃんと読めてないです。
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