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城と寺社仏閣が好き。御朱印・御城印を求めて軽自動車でフラフラ。攻城では駐車場に困ることが多いので、いつも団員の皆様の情報を参考にさせていただいております。

kokkoさんのタイムライン

kokkoさん が  東郷槇山城(福井県福井市) を攻城しました(2024-04-20)

kokkoさん が「 土井山砦 御城印 北陸新幹線開業記念版 [ふくい城巡りプロジェクト 越前若狭 春の御城印]」をコレクションしました(2024-04-20)

kokkoさん が「 村岡山城 御城印 北陸新幹線開業記念版 [ふくい城巡りプロジェクト 越前若狭 春の御城印]」をコレクションしました(2024-04-20)

kokkoさん が「 波多野城 御城印 北陸新幹線開業記念版 [ふくい城巡りプロジェクト 越前若狭 春の御城印]」をコレクションしました(2024-04-20)

kokkoさん が「 一乗谷城 御城印 北陸新幹線開業記念版 [ふくい城巡りプロジェクト 越前若狭 春の御城印]」をコレクションしました(2024-04-20)

kokkoさん が「 一乗谷城 御城印 北陸新幹線開業記念版 [ふくい城巡りプロジェクト 越前若狭 春の御城印]」をコレクションしました(2024-04-20)

kokkoさん が  一乗谷城(福井県福井市) を攻城しました(2024-04-20)

kokkoさん が  田辺城(京都府舞鶴市) の写真をアップしました(2024-04-17)

朝代神社(田辺藩産土神)
朝代神社(田辺藩産土神)

かつての田辺城下に鎮座し、町民から氏神として信仰を集めた。
田辺城攻防戦を模したと伝わる4年に1度の神事「吉原太刀振り」で著名。

kokkoさん が  田辺城(京都府舞鶴市) の写真をアップしました(2024-04-16)

金剛院庭園(伝細川幽斎作庭)
金剛院庭園(伝細川幽斎作庭)

城から車で20分。江戸時代に細川幽斎が作庭したと伝わる、通称「鶴亀の庭」。

kokkoさん が  砕導山城(福井県高浜町) の写真をアップしました(2024-04-16)

高浜町郷土資料館
高浜町郷土資料館

逸見氏菩提寺である園松寺所蔵の逸見昌経公木造坐像が展示されています。

kokkoさん が  砕導山城(福井県高浜町) の写真をアップしました(2024-04-16)

千丈ヶ嶽曲輪西の土橋と竪堀
千丈ヶ嶽曲輪西の土橋と竪堀

kokkoさん が  砕導山城(福井県高浜町) の写真をアップしました(2024-04-16)

二重堀切間の曲輪内の堀切
二重堀切間の曲輪内の堀切

二重堀切間の曲輪に存在しているが、パンフレットには未記載。
浅すぎるし通路を塞ぐようにあるため、畝状阻塁と言うべきかもしれません。

kokkoさん が  砕導山城(福井県高浜町) の写真をアップしました(2024-04-16)

二重堀切(2本目)
二重堀切(2本目)

主郭(千丈ヶ嶽曲輪)東側の最終防衛ライン。
1本目よりも更に高さが増しており、「SASUKE」の2連そり立つ壁を思い出しました。

kokkoさん が  砕導山城(福井県高浜町) の写真をアップしました(2024-04-15)

天王山曲輪北の段郭群
天王山曲輪北の段郭群

眼下に見える限りでも5段、天王山曲輪は撮影地から3段上のため都合8段以上はある。
8000人が籠城したというのも納得である。

kokkoさん が  砕導山城(福井県高浜町) の写真をアップしました(2024-04-15)

二重堀切(1本目)
二重堀切(1本目)

天王寺曲輪からの尾根を断ち切る堀切。
堀切は東側のみに存在し若狭武田への備えという意図が組み取れる。

kokkoさん が  砕導山城(福井県高浜町) の写真をアップしました(2024-04-15)

天王山曲輪(西から)
天王山曲輪(西から)

城域最東端の曲輪。
東から侵攻する若狭武田・朝倉への備えとして重要な曲輪。

kokkoさん が  高浜城(福井県高浜町) の写真をアップしました(2024-04-15)

二の丸跡(城山公園)
二の丸跡(城山公園)

遺構や説明板は特に見当たりませんでした。

kokkoさん が  高浜城(福井県高浜町) の写真をアップしました(2024-04-15)

城址遠景
城址遠景

砕導山城の愛宕曲輪からの高浜城遠景。
半島が二叉に突出しており、海城の特徴がよく分かります。

kokkoさん が  高浜城(福井県高浜町) の写真をアップしました(2024-04-14)

城址遠景
城址遠景

kokkoさん が  高浜城(福井県高浜町) の写真をアップしました(2024-04-14)

本丸跡
本丸跡

天守台跡とは堀切を挟んで一段下に位置。こちらの方が広いので主要建造物はこちらだったのではないか、案内はなかったですが右の土壇は櫓台跡っぽいんですが。

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今日のレビュー

悪党の戦旗 嘉吉の乱始末 (日経文芸文庫)

嘉吉元年1441年、時の将軍足利義教が赤松一族に殺される、いわゆる、嘉吉の乱からはじまる物語です。
播磨、備前、美作の守護を領していた大大名が、何故時の将軍を討ったのか、結果、討ち滅ぼされてから、お家再興のため、悪党と呼ばれながらも時代の流れに抗う様が描かれております。
昔よくいったお祭り、奇祭さいれん坊主が赤松一族の霊を弔うものとは知りませんでした。

デュラけんさん)

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