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一番は福岡県にある秋月城です。家から1時間かからず行ける桜の名所なのでほぼ毎年行ってます。以上。だと寂しいので、勝手ながら次点も書かせていただくと、同数で姫路城と松本城です。それぞれ5回訪問してます。姫路城と松本城はお城ももちろん素晴らしいんですが、ポイントはアクセスの良さと周辺に観光地があるかどうかかと。姫路城は新感線が停まる姫路駅から徒歩で行けますので、岡山や大阪観光のルートに組み込んだ結果多くなりました。松本城は何といっても観光名所が多い長野県がありますので、善光寺に行っては立ち寄り、軽井沢に行っては立ち寄り、上高地に行っては立ち寄りと、増えてしまいました。近くに行ったら立ち寄ってしまう魅力が両者にはあるということだと思います。

龍岡城ですね。龍岡城五稜郭といって、幕末に作られたお城です。函館の五稜郭よりも小さいですが、国内で建造された五芒星形の星形要塞は函館と龍岡の二つのみ。小さいおかげで星形の確認も容易にできました。堀には城へ入るための橋がかけられており、敷地には田口小学校の二階建ての校舎が建っていました。五稜郭の敷地全体が小学校になっていました。五稜郭は平坦で、真ん中にグラウンド周辺に校舎と、小学校としてはちょうどいい敷地でした。校舎の隣には現存する大きな御台所が。城跡と小学校の2階建て校舎のコントラストは最高でした。こんな五稜郭の小学校に通える生徒がうらやましくてしょうがなかったんですが、なんと2022年末に閉校となってしまったとニュースで知りました。もうあの姿が写真でしか見れないかと思うと残念です。2022年の春に訪問しましたので本当に最後の機会でした。

まずは島原城でしょう。この小さな町にこんな立派な天守閣を持った城を作れば、そりゃ島原の乱も起きて当たり前。費用を負担する農民さんも大変ですよね。櫓も再建されており、近くには当時から続く武家屋敷の街並みもあり、見どころがあります。
次に原城。天守閣はありませんが、島原の乱で有名になったので。またここからの有明海の景色も絶景です。
最後は平戸城。天守閣が再オープンした記念に。こちらも海際の城で、海とお城のコントラストは最高です。

まずは岡城です。広大な山城跡で、山すそに延々と残る石垣は圧巻です。風情がある城下町には滝廉太郎記念館など見どころも多いです。
次は杵築城です。城山の上に建てられた模擬天守は大きくありませんが、海に面しており、景色は最高です。また杵築の城下町には多くの武家屋敷が残っており、一日しっかり観光できる名所です。
最後は悩みますが、中津城にしました。遺構としては本丸が残るくらいですが、立派な模擬天守が立っています。杵築ほどではないですが、こちらも海に面しているため、眺めは良いです。

岐阜城、大垣城、郡上八幡城
いずれも天守閣が再建されてて、行ってみたいお城なので

明智方です。謙信公の次に好きな戦国武将が光秀公なので(煕子さんとのエピソードなんか最高)。昔から不思議に思ってました。なんであの兵力差で籠城しなかったんだろうって。安土城に籠城すればいくらでも耐えきれたと思うんですよね。籠城しなかったのは京都に入らせないためですよね。だから本能寺の変の黒幕は京都の人なんだろうなって思ってました。あの兵力で山崎を選ぶなら本陣狙いだったと思います。同じ湿地帯の沖田畷のように、釣り野伏せで本陣の側面を突くしか勝ち目はなかったかと。うまくハマればあの程度の戦力差なら問題なく勝てたでしょう。

立花誾千代様です。
地元の英雄ですから。柳川では国母とされ、三柱神社に神様としてお祀りされています。
立花道雪公の一人娘で立花家(というか正式には戸次家)の当主となり、立花城の城督になりました。
男と同じ手続を踏むことで女城主となったことが、現存する資料(大友宗麟と義統の連署)で確認できる珍しい事例です。
重要文化財大友家文書にも勇壮であることが書かれるほど勇ましい女性でした。
女性の身で雷神、道雪公の跡を継いだのですから、勇ましい姿を見せなければいけなかったという事情もあったでしょう。
馬術が得意で鉄砲が撃てたとの話や関ヶ原の戦いの折、軍を率いて鍋島海軍を追い払ったという話もあります。
どんな女性だったのか見てみたかった・・・。

福岡城(天守閣はないんですが、櫓がいくつか残っており、城跡としては巨大)、小倉城(天守閣が復興されている)、3つめが悩みますが秋月城(石垣は久留米城なんですが、正直、城下町や長屋門などの遺構、歴史資料館が整備されていることなどを総合的に判断する秋月城)

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悪党の戦旗 嘉吉の乱始末 (日経文芸文庫)

嘉吉元年1441年、時の将軍足利義教が赤松一族に殺される、いわゆる、嘉吉の乱からはじまる物語です。
播磨、備前、美作の守護を領していた大大名が、何故時の将軍を討ったのか、結果、討ち滅ぼされてから、お家再興のため、悪党と呼ばれながらも時代の流れに抗う様が描かれております。
昔よくいったお祭り、奇祭さいれん坊主が赤松一族の霊を弔うものとは知りませんでした。

デュラけんさん)

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