戦国時代から江戸初期を代表する築城の名人といえば藤堂高虎です。
その藤堂高虎が築城や改修に関わったお城を集めたバッジも用意しているのですが、そのリストに間違いがありました。
すでに修正済みですが、具体的には当初のリストにあった「出石城(1583年、天正11年)」は間違いで、正しくは「有子山城(1583年、天正11年)」です。
そもそも出石城は小出吉英が江戸時代に入った1604年(慶長9年)に有子山城を廃して築城しているので築城年がおかしいです。
昨日、匿名の方から以下の記事の記載が間違っているのではというフィードバックがあり発覚しました(団員ではなさそう)。
上記の通り、時代を考えても間違っていることは明白なのでさっそくバッジの修正をおこなった次第です(記事も修正済み)。
ご指摘くださった方には心から感謝するとともに、2019年から間違ったまま掲載していたことをお詫びいたします。申し訳ありませんでした。
言い訳ですが、記事およびバッジを作成するために参考にした『今治城見聞録―四百年の歴史を紡ぐ海のお城の物語』が間違っていたからです。
この本は今治城の築城400年を記念して今治市が作成したもので、大学の先生方が多数監修者としてクレジットされていたので、そのまま採用しました。当時はぼくの知識もいまよりずっと乏しくて、なんの疑問も感じなかったということも原因のひとつです。
(いまなら「出石城は江戸時代の築城じゃないのか?」と気になってちゃんと調べたと思うのですが)
知識がないなりにインターネット上の情報だけを鵜呑みにせず、紙媒体それも自治体発行の記念誌を参照するところまでは良かったのですが、もちろんそこにも間違いが含まれる可能性はあるわけで、今回はそれに該当してしまったという経緯です。
過去にもバッジの対象城が修正されたケースがあり、それにならって
ということにしてあります。
ちなみに過去のケースというのは松江城が国宝に指定されたために「国宝4城」が「国宝5城」になったケース、また原城が「世界遺産」に登録されたので対象城に追加したケースがあります。
バッジの登録はかなり慎重にやっているので、今回のような凡ミスでの修正はそうそう起きないのですが(起きてはいけないですしね)以後気をつけます。
なお有子山城に藤堂高虎が本当に関わっていたのかについては諸説ありますが、豊岡市のサイトにある以下の記述も参考に(「高山公実録」に依拠)対象としています。
威容を誇る有子山城跡の石垣ですが、山名氏時代には石垣は存在しませんでした。
では、いったい誰の手によるものなのでしょうか?
一説には、有子山城の石垣は、築城の名手・藤堂高虎の手によるものだと言われています。
高虎の一代記である「高山公実録」には「28歳の時に、羽柴秀長から出石(有子山)の築城を命ぜられた」という記述が残っています。
馬場信春、明智光秀、黒田官兵衛、加藤清正と並び、戦国屈指の築城の名手であった高虎。彼が最初に手掛けた石垣の城が有子山城であった可能性があり、さらなる研究が期待されます。
国指定史跡 有子山城跡 -「獅子の山城」の魅力に迫る-|豊岡市公式ウェブサイト
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