寺域一帯が主郭跡と思われます。この西を向いた山門(はないですが、入り口)が虎口と思われます。虎口の右手・南側には高い土塁、左手の土塁は削平され墓地になっていましたが、墓地の西側は一段窪んでいて、堀の遺構なのでしょう。
寺域一帯が主郭跡と思われます。この西を向いた山門(はないですが、入り口)が虎口と思われます。虎口の右手・南側には高い土塁、左手の土塁は削平され墓地になっていましたが、墓地の西側は一段窪んでいて、堀の遺構なのでしょう。
建物の右側に小さな祠。この辺りが櫓台の跡だと思われます。手前側の土塁は明滅してしまっています。
『正和中岩戸五郎胤安居岩戸城、城在印旛湖西、胤案以千葉氏庶族、仕臼井城主平祐胤……』で始まるこの碑は、彼の生涯を刻んだものです。臼井祐胤が死んだとき、家臣の志津氏がクーデターを起こしたため、祐胤の子・竹若丸を城に匿ったそうです。その為、志津氏に攻められ岩戸城は落城、彼も戦死してしまったそうです。 文字もしっかり読める石碑でした……あぁあ!いつの建碑か確かめるの忘れた……σ(^_^;)
ほぼ方形の主郭は西側を除いて土塁が巡っており、2m以上の高さがあります。画像右手・東側の土塁の外側には堀も残っていましたが、藪だらけで深さはわかりかねますが、幅は5〜6mはあったと思います。
東側土塁の南側に虎口らしき遺構が。この遺構の南側が主郭南東隅にあたり、かなりの面積があることから櫓台跡と思われます。後世の改変の可能性もありますが、櫓台の脇に虎口があってもおかしくないですよね……
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する