説明板の内容
---
市指定文化財
福川本陣跡(ふくがわほんじんあと)
福川の本陣(ほんじん)・脇本陣(わきほんじん)は、ともに御茶屋(おちゃや)と称して代々福田家がこれを預かり、西町にある本陣は、表口17間、奥行14間で門構えのある大規模な屋敷でした。
享保(きょうほう)6年(1721)に幕府の参勤交代(さんきんこうたい)における随行員制限令が発せられた頃から、山陽道においても、それまでの海路から陸路による通行が激増し、福川本陣は、幕府の要人や西国大名(さいごくだいみょう)などの宿泊や休憩の場所を提供する重要な宿駅(しゅくえき)としての役割を担いました。
現在の本陣門は、天保(てんぽう)9年(1838)に建てかえられたものを、昭和48年に改修したものです。
新南陽市教育委員会
---
近くにある説明板の内容 --- 空堀 城を防御するため、山の尾根つづきの所などを掘って、敵兵の進行を遮断するとともに、城兵が隠れ、敵に備えるものである。 ---
説明板の内容 --- 市指定文化財 福川本陣跡(ふくがわほんじんあと) 福川の本陣(ほんじん)・脇本陣(わきほんじん)は、ともに御茶屋(おちゃや)と称して代々福田家がこれを預かり、西町にある本陣は、表口17間、奥行14間で門構えのある大規模な屋敷でした。 享保(きょうほう)6年(1721)に幕府の参勤交代(さんきんこうたい)における随行員制限令が発せられた頃から、山陽道においても、それまでの海路から陸路による通行が激増し、福川本陣は、幕府の要人や西国大名(さいごくだいみょう)などの宿泊や休憩の場所を提供する重要な宿駅(しゅくえき)としての役割を担いました。 現在の本陣門は、天保(てんぽう)9年(1838)に建てかえられたものを、昭和48年に改修したものです。 新南陽市教育委員会 ---
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する