道路脇の畑も、こうしてみると堀跡のように見える…。
主郭に建つ御札神社の石段です。
主郭への虎口脇の土塁。
ほぼ同じ高さの馬出曲輪と東二の曲輪間を隔てる堀切。水の手曲輪脇から見上げて撮影。
「島崎城は常陸平氏の流れをくむ行方次郎宗幹の次男高幹…」で始まる碑文は、生方の地を400年に渡って治めた島崎氏をたたえ、佐竹義宣による謀略で滅ぼされた島崎氏を慰霊する内容です。南方三十三館謀殺事件で主は滅亡、家臣たちも散り散りになって土着・帰農し、その子孫の方々は今でもこの辺りにお住まいとのこと。佐竹憎し!がひしひしと伝わる内容でした。
城址の西側に建っています。 この辺りが大手だったのかもしれない。
御札神社裏手にある土塁痕。
主郭内部から撮影。この虎口と向こう側の馬出曲輪の間は空堀になっており、見ようによっては枡形のように見えます。
主郭と馬出曲輪間の空堀。枡形状になっています。
主郭と水の手曲輪間の空堀。幅・深さともこの城最大の見所です。
小屋曲輪辺りの切岸。かなりの斜度で簡単には登れない。
道路脇の畑も、こうしてみると堀跡のように見える…。
画像中央の坂を登り、左手(南側)へと続く小道を辿ると、右手に急な石段がある。坂を登ると主郭跡に出られます。 ちなみに、この画像右手の休耕地に、地主さんのご厚意で駐車させてもらいました。
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