お知らせ 詳細
平らで大きく比較的薄い阿波青石の鏡石が複数あります。右側に少し写っているのが弓櫓跡石垣です。
樹木との比較でお分かりいただけると思いますが、低くて裾の広い石垣が南北に長く残っています。
右下への石垣は、打ち込み接ぎで反りは顕著です。護国神社があった頃に修理されたのでしょうか?
戦が起きた時に城主が入る「御座敷」という建物跡の地下部分であり、 麓にあった「水の手御門」から助任川へと繋がる緊急脱出路も兼ねていました。 なお、花崗岩の石段は廃城後、護国神社があった頃に参道として造られたものです。 現在、その助任川沿いには蜂須賀桜の若木 並木道があります。
平らで大きく比較的薄い阿波青石の鏡石が複数あります。右側に少し写っているのが弓櫓跡石垣です。
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