南側の河越氏時代の堀の南西部角を撮影しました。
堀は幅4m、深さ2mあったそうです。
堀(砂利の溜まっている部分)の外側を囲む土の部分は当時の道路跡で、中央部が踏み固められ幅が5m程あります。
石製の供養塔は、山内上杉氏が上戸陣を張る際に空間を確保する為に井戸や堀に捨てられました。 元は、常楽寺やその周辺に建てられていました。 日曜のみ開館の資料室では、間近で出土物を見れ、解説もしてもらえます。
北側からの撮影。 写真左の小学校の1階には日曜のみ開館の資料室、中央の林は河越氏の持仏堂が発展した常楽寺、右側のゴルフ練習場脇には土塁が残っています。
13世紀頃の堀だそうです。
南側の河越氏時代の堀の南西部角を撮影しました。 堀は幅4m、深さ2mあったそうです。 堀(砂利の溜まっている部分)の外側を囲む土の部分は当時の道路跡で、中央部が踏み固められ幅が5m程あります。
河越氏が祖先を祀る霊廟や納骨堂であったと推定されています。
ゴルフ練習場脇の200m程の残存土塁の北端(写真右奥)から、西東に伸びる30m程の土塁です。
山内上杉氏時代(又は大道寺氏の時代)のものです。 道路からよりも、西側からの方が木々で隠れていないため、土塁が良く見えます。
土塁の西側からの撮影。 史跡公園は土塁の奥(東側)です。 写真右に向けて約200mも現存しています。
この地を拓いた河越重頼、重頼の息女の京姫(義経正室)、源義経の供養塔です。 墓地区域には、北条氏重臣の大道寺正繁の供養塔もあります。
河越館跡地の南側の一画にあります。 元々は、河越氏の持仏堂だったそうです。
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