この画像でわかるかな…画像中央奥に簡易の階段がありますが、ここが主郭とされる場所です。
ところで帰りがけに気づいたのですが、画像右手手前の立木辺り通路の両脇が、僅かに窪んでいました。改変が進んで埋まってしまった堀跡だと思われます。主郭の北側の防備の曲輪だったことでしょう。
この画像でわかるかな…画像中央奥に簡易の階段がありますが、ここが主郭とされる場所です。 ところで帰りがけに気づいたのですが、画像右手手前の立木辺り通路の両脇が、僅かに窪んでいました。改変が進んで埋まってしまった堀跡だと思われます。主郭の北側の防備の曲輪だったことでしょう。
現在この場所から、堀と土塁を超えると主郭内に入れます。本来の主郭への虎口は南側にあります(虎口が現存)。主郭西側は藪が酷くてはっきりとした形状はわかりませんでしたが、土塁は確認できませんでした。
主郭北東隅の土塁上にあります。南朝の正当性を説くために東下した北畠親房を讃えた碑です。 彼のこの東下は敗戦に次ぐ敗戦で、まぁ何というか悲哀を禁じえませんね…。 この石碑、大正四年建立ということですので、満100歳ですね!
ご覧の通り西側は藪化が進みσ^_^;、足を踏み出す勇気が出ませんでした。 現在は南北に細長く、土塁などの遺構も見受けられませんでしたが、当時はもう少し幅広だったのではと思います。 …これでは狭すぎるでしょう。
主郭東側土塁上から北側を撮影。画像向かって左手が主郭内部。 ここのヤブ蚊は江戸崎の比ではない!シャカジャケのフードを被って首を隠し、手には軍手をして、拾った朽ち木で蜘蛛の巣を払いながら進みました。ボトムはデニムパンツでしたが、ダメージ加工だったので、その穴をピンポイントで狙われましたΣ(゚д゚lll) パンツの裾もすっかりスニーカーを覆うようにしていましたが、隙間から入り込んでくるぶしを刺されてました! ……長靴を買うしかないか……( ̄O ̄;)
立木が邪魔して見えませんが、この位置に虎口があります。 南側の土塁の西側(画像向かって右手)には、虎口を狙えるよう南へ向かって折れがかかっているそうですが、確認できませんでした。
虎口の形状は枡形でも喰い違いでもない、直線的な虎口ですね。虎口西側に折れの入った土塁があるそうですが、ここからでは確認できませんでした。恐らく南朝時代の虎口をそのまま利用していたのでしょうね。
土塁は主郭内部からでも2〜3m、堀底からで5m程はあると思います。堀幅も広いところでは7〜8mはあろうかと思われます。 やはり斜度や深さからしても、戦国期に手が加えられたものと思われます。
こちら側は随分埋められて、浅く狭くなっていました。
画像中央やや左の伐採材の辺りが窪んでいました。この窪みは、画像中央の通路の東西に直線的に続いており、この曲輪が主郭の東側から北側をぐるっと囲っていたことが、よくわかります。
江戸崎から県道107号線を東へ約5㎞、国道125号線の手前約300mの辺りに、右手にこの白い案内があります。入ってすぐのところには駐車スペースもあります。
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