天満さまに向かって左手に竪堀の遺構があります。或いは虎口だったのかもしれませんね。
城址公園最高部にあります。この北側からは、遠く霞ヶ浦を臨むことができます。
霞南ゴルフ倶楽部北側の市道(農道?)を東へ進むと、左手にこの案内板があります。右手に折れ坂を上がると駐車スペースと城址公園があります。
案内板には、北畠親房の南朝正当論を支持した近郷のご先祖様たちを讃える旨の説明が記載されていました。 蜘蛛の巣もほとんどなく清掃も行き届いて、地域の方々が今でもこの城址を大事にしているのがよくわかります。
この田園地帯、当時は沼沢地、或いは霞ヶ浦そのものだったかもしれませんね。 この立地でも負けてしまう親房さんは、よほど勝負運の無かった人なんでしょう。遠州沖で遭難〜神宮寺城で敗戦〜阿波崎城でも敗戦〜小田城でも小田氏に見限られ吉野に帰還……。 逆に言うと、これだけの艱難辛苦にあっても60過ぎまで生きられたのは、強運の持ち主なのかもしれないですね!
天満さまに向かって左手に竪堀の遺構があります。或いは虎口だったのかもしれませんね。
天満宮・石碑の東側は長い横堀の様な遺構があります。斜面に従って段差のあるところから、小規模な曲輪跡かとも思いましたが、あまりにも小規模過ぎるので横堀と考えた方が良さそうです。 全体的にこの外丸には、城址らしい遺構が少なく、ゴルフ場の開発による主郭部分の削平・隠滅が心から悔やまれます。
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