外観復元ではありますが、堂々とした層塔型天守で徳川家にとっての西国の守りの要だったことがうかがえます。
もともとは伏見城から移築したもので、戦災により焼失。 これはない外観復元したもの。
天守閣の全体像が分かるのは意外にこちら側かもしれません。 手前には天守閣の基石もあります。
地形的に低い平山城であるためか、地形を生かすというよりも、 石垣を何層にも囲って防御するという思想のように感じます。
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