家康の従兄弟。若い頃はかなりのやんちゃものだったそうですね。
家康の従兄弟。若い頃はかなりのやんちゃものだったそうですね。
部分再建らしいですね。本来の姿がわからなくなっているそうですが、現状の姿に近いのであれば、水戸城の御三階や会津若松城の御三階の様に、少し趣の違う櫓だったんでしょうね。
伏見城からの移築とのこと。近世初頭の建造物らしく、長押や柱が意匠として使われています。
姫路城菱の門を連想させる立派な櫓門ですね!
石垣から張り出して建てられた懸け造の湯殿。湯殿のうち、風呂上がりの休憩所・座敷部分だけが再建された様です。この座敷、城下一帯を見渡せる展望台の様な施設だったんでしょうね。 肝心の湯殿(蒸し風呂)は再建されてません。
こちらも戦後の復興。窓や石落としなどの意匠が、往時のものとは違っているそうです。
台風の影響も少なく、小雨の中を走って回ることに。さぁ、攻城だ!
枡形としては小振りでしたが、櫓と櫓の間に渡櫓をつなぎ、その下にこの門がありました。相当堅牢な守りだったことでしょうね。
玉櫓下の二の丸から撮影。福山大空襲で焼夷弾2発が当たらなければ、国宝のまま戦後を迎えることができたのに……。実に惜しいですね。
本丸の北西に位置し、搦め手的な役割の門だったと思われます。
台風の影響も少なく、天守下まで来ることができました。 贅沢を言えば、青空をバックに白亜の天守を撮影したかった……
この一角が一番贅沢な場所。筋鉄御門・伏見櫓・鐘櫓と当時の建物が隣り合う様に建ち、威容が伝わります。
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する