本郭に建つ解説板。
ここまでの道のりを考えると、この解説板を建てるのにどれだけの苦労が有ったかと思います。地元のご苦労に感謝です。
宮坂先生の縄張図も確認でき、礎石のことも...えっ、神社の跡ですと?
虚空蔵山から伸びる狭い尾根の上に飯綱城が有ります。虚空蔵山城からだとちょうど、上田城側に突き出していますので、門番代わり、物見の城にぴったりです。
飯綱城への登城(登山)ルートです。国道18号バイパスから「大蔵京古墳」を目指して、あとは、この地図の通りです。 山道は、道幅はありますが傾斜が厳しいので、大きい車はやめておいた方がいいです(登りより下りが怖いと思う)。2.2km、私は歩きました。
登山道は城の背後の乗越部分まで詰めていきます。城はこの細尾根の先に有ります。なんだか筑摩郡の麻績城と同じ景色です。往時、木が切り払われて足場がなく、この自然の土橋からで両斜面に叩き落とされたら、70~80mは滑り落ちます。
背後の堀切を越えるとグ~ンと尾根幅が広がり、四の郭が有ります。城兵の駐屯に適した広場です。 奥には飯綱山の最高所である本郭の土塁(櫓台?)が有ります。
飯綱城の本郭です。 そもそも約20年前にここに来ようと思い立ったのは、本郭内に建物の礎石が残っているとの情報が有ったから。でもその当時は枯れ草、枯れ枝、落ち葉が堆積していて、見つかりませんでした。今回は本郭内部を清掃頂いており、礎石列がはっきり確認でき、本当に感激です。
本郭に建つ解説板。 ここまでの道のりを考えると、この解説板を建てるのにどれだけの苦労が有ったかと思います。地元のご苦労に感謝です。 宮坂先生の縄張図も確認でき、礎石のことも...えっ、神社の跡ですと?
飯綱城本郭の南側に土塁を切って虎口があり、その外側には虎口を守るように、土塁付きの小郭が有ります。郭内部には意味有りげな穴が掘られています。天水井戸か狼煙台か。場所的には狼煙台も有りだと思います。 その奥に見えるのは独立峰、ニノ郭。
本郭とニの郭を隔てる二重堀切ですが、ニの郭側は完全な岩壁でどこからも取り付けません。
地元の方の整備により、難攻不落の二の郭ピークへは、岩壁に沿って竪堀を約10m下り、鉄はしごで約2m壁を上がり、そのまま、ザレた急斜面を横切って、比較的緩やかで足場が見つかる南側に回り込む道が作られました。まだ新しいのでザレた斜面は崩れ易く、滑ったら50mは絶対に止まらない(取り敢えずロープは張ってある)スリル満点のトラバースのあとは、這いつくばって登るしかない、登坂です。ロープを頼っても足元が滑って上がれません。
二の郭は四方急斜面で平地が少ないので、石積により平地確保を図っています。 背後の山頂が虚空蔵山城。
飯綱城二の郭に建つ解説板です。 地元の方のご苦労というか、どうやってここへ持ち上げたのか、不思議としか言えません。
二の郭と三の郭の間に掘られている堀切ですが、ここは岩盤を叩き割って堀切を作っています。かなり埋まっているので、とれだけの工作がされているのか判断が付きません。(恐らくは凄まじい堀切が埋っているのだろうと思います)
飯綱城の最も下に有る郭で、周囲に段郭を伴う広い郭です。木々を取り払えば、上田市街を見下ろすことが出来るはずです。 このあと、ピンクのリボンに導かれて、このまま、市街の方へ下っていったのですが、これが失敗!途中から斜面の傾斜がどんどんきつくなり、ついには足元に麓の人家の屋根が見えるような状況。斜面に這いつくばっても、ずり落ちる恐ろしい目に会いました。ここは、元来た道を戻るのが正解です。 本当に、この城の難攻具合を味わいました。
三の郭にも解説板が建っています。 この郭は一番麓に近く防御が必要なので、腰郭を備えていますが、近代になってこの地方は養蚕が盛んになり、相当山の上まで桑の段々畑が拡がっていたことには注意が必要です。 これはこの城への登城途中にも麓から山腹にかけて、あわや腰郭の跡ではないかと思われる石垣付きの畑の跡が見られるので、目を慣らしておくと良いです。
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