宮川大橋から内が城域、外が城下町です
元は津山城二の丸にあった四脚薬医門。 中山神社は美作国一宮。
元は津山城二の丸にあった四脚薬医門。 中山神社は美作国一宮。
中山神社は美作国一宮です。
こちらの神社の神門は(写真奥)「津山城内にあった門で、明治初年、修道館(現在の鶴山館)の表門に使われたものを、いく多の変遷をたどって大隅神社の神門として使用されるようになったもの」だそうです。
大隅神社の神門は(写真奥)「津山城内にあった門で、明治初年、修道館(現在の鶴山館)の表門に使われたものを、いく多の変遷をたどって大隅神社の神門として使用されるようになったもの」だそうです
城下町に残っている、津山松平家の藩医「箕作阮甫」旧宅に展示されています。 箕作阮甫は幕府天文台翻訳員となり、ペリー来航時に米大統領国書を翻訳、対露交渉団の一員、蕃書調所の首席教授に任ぜられ、幕臣に取立てられた人物で日本初の医学雑誌『泰西名医彙講』の創刊他、多くの洋学の著作を残しています。
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