津山城
津山城

[岡山県][美作] 岡山県津山市山下


  • 平均評価:★★★★☆ 3.94(18位)
  • 見学時間:1時間26分(27位)
  • 攻城人数:2016(68位)

天守台説明板

天守台説明板
hiro.E

天守台 平成18年3月整備完了
概要
 津山城の天守は、地上五階建てで、最上階以外に破風(はふ)を持たない質実な造りでした。高さは石垣を除いて約22メートルで、一般的な五層の天守としては最大規模のものです。形は、天守台の平面が正確な四角形で、上階が規則的に小さくなっていく「層塔型」(そうとうがた)と呼ばれるものです。この壮大な天守を支える礎石は、地下の穴蔵部分で確認されています。上から見ると、平らな礎石が並んでいる様子が分かります。絵図と比較すると、柱の位置と礎石の位置はほぼ一致しています。(右下の写真)。柱は、約38センチ角もある巨大なものであったことが分かっています。
 天守をはじめ城内の建物は明治7年から8年(1874~75)にかけて取り壊され、石垣を残すのみとなりましたが、その後昭和11年(1936)に開催された「産業振興大博覧会」の呼び物として、本来の天守の3分の2の天守が建てられました。(右中段の写真)。「張りぼて」の愛称で親しまれましたが、空襲の目標になるという理由から、昭和20年8月に取り壊されました。
(左)北西からみた、在りし日の津山城。
(上左)西からみた天守(「津山絵図」より)。
(上右)CGで再現された天守(北東から)。
(中)「産業振興大博覧会」の際に建てられた通称“張りぼて”天守。トタン葺きで、千鳥破風が設けられている。
(下左)天守穴蔵部分の指図。■が柱の位置を示している。「津山城天守指図」江戸時代末
(下右)上空からみた天守台(舗装前)。穴蔵部分には指図の柱位置とほぼ同じ位置の礎石が並んでいる。写真中央左の石段は廃城後につけられたもの。

   

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カメラ情報

機種名FUJIFILM FinePix XP50
ISO100
F値6.2
ホワイトバランスオート
シャッタースピード
レンズ焦点距離5.0 mm
フラッシュフラッシュ未発光、強制発光モード
露出モード自動露出
露出時間1/550
画像方向水平(標準)

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赤ヱ門さん)

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