例年ならここに出店がずら~と並んでいます。
例年だとここでイベントをやっていたと思います。
ポスターなどでよく使われる構図です。 表中門の途中東側の石段を登りきったところです。行き止まりなので見落としがちですが絶好の撮影ポイントとなっています。
令和4年7月31日までの工事のようです。
写真右が七番門(二重の櫓門)の櫓台で左側の桜の木が生えているL字型の櫓台が色付櫓台です。 色付櫓は復元模型では青色の壁の変わった櫓になっています。
令和4年7月31日までの工事のようです。
石段下が裏中門です。
櫓台下に草に囲まれ小石が転がってる長方形の箇所がありますが、実際の腰巻櫓台はここまで出っ張っていたそうです。 明治23年に腰巻櫓台が崩れた際、積み直されたのですが本来の出っ張りと高さを失ってしまったとのことです。
廃城後に登りやすく石段を増設していたようですが近年取り外して本来の姿に戻したそうです。 石段の一段、一段が高いです。
この一帯は岩盤を削りだして造成されたそうです。
この薬研堀と近くの厩堀は山名氏時代の遺構で津山城では一番古いものになるようです。
三の丸から二の丸の二つの櫓跡を撮影。 手前が長柄櫓で奥が昇櫓跡です。 写真の下はフェンスで石垣下部が隠れています。
はらみがあるように見えました。
石垣の出っ張りがあるところの上が塩櫓跡です。
手前の石垣上に肘櫓が、石垣と石垣の間の石段の上に裏下門がありました。
崩れたところを直していくのか、水を抜いているようでした。 ちなみに、この厩堀と近くの薬研堀は山名氏時代の遺構で津山城では一番古いものになるようです。
現在はトイレと駐車場になっています。
現在はトイレと駐車場になっています。
城南医院近くの石垣です。分かりにくい所にあります。
去年の夏ごろの写真と比べ工事の足場と、石垣上の木がごっそり無くなっているのがわかります。
津山城の東側には宮川を挟んで同じくらいの高さの山があるためそこからの攻撃に備えて本丸東側に天守台より高い石垣の防塁がつくられています。 この石垣の上には太鼓櫓などの櫓も複数ありました。
城下町の案内板です。
城下町の案内板
城下町の案内板
絵図ではこのあたりに侍屋敷があり水路があったようです。
絵図ではこのあたりに侍屋敷があり水路があったようです。
左奥に見える山は神楽尾城です。
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この本は日経新聞の土曜朝刊別刷に掲載中の「何でもランキング(1〜10位)」の旅に関する記事をまとめたもの(2019年8月発行)。《第1部、絶景を見に行く》のコーナーには「闇夜に浮かぶ城、冬こそ必見」、《第2部、そぞろ歩きを楽しむ》には「1日で散策満喫、ほどよいサイズの城下町」のページがあってそれぞれ10の城と城下町が紹介されています。松本城と弘前城は両方にランクイン、また「〜城下町」の方にはこうの団長のコメントや「調査の方法」のところには「お城ファンサイト「攻城団」などの推薦や…」というちょっと嬉しい表記も。
たまには攻城しないお出かけ先を探してみようと久しぶりに書棚から出したのですが、やっぱり「城、城下町」のページを真っ先にチェックしました。さて、同行者の満足ポイント(街歩きと地元の食やお酒)があって、ほどよく攻城できる次の行き先はどこになるかな。
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