筒井門東続櫓の櫓台で隠門を隠しています。
天守がちょこっと見えてます。
正式にはこちらの玄関から天守櫓群に入ることになっていました。現在は天守地階に入場口があります。 写真奥の二階櫓は北隅櫓です。
松山城天守曲輪の各櫓はこのような扉で仕切られています。このような扉により天守が火災の延焼を免れたとか
小天守の石垣が露出しています。
左から南隅櫓・多聞櫓・小天守・天守・一の門南櫓と並んでいます。 下段には紫竹門が見えます。
本壇の複雑な進入路がよくわかります。
管理事務所として使用されていますが、20年前にはなかったエアコンの室外機とかが剥き出しになってたりごてごてしていました。
中央の小山が湯築城です。
仮設の搬入路が作られていました。
二の丸の南門は門が二つ並んでいました。
この付近は東登石垣の上に大手道が通っていると思われます。
当時二の丸に入るためには黒門、栂門、槻門と三つの門を抜けないとだめでした。
古町口登城道を登りきると乾櫓下のここに出て来ます。左の進入禁止の尾根の先にも曲輪があったようです。
坂東三津五郎さんがここからの松山城が好きで著書の「三津五郎城めぐり」の表紙に使ったところです。
天神櫓はその名の通り菅原道真を祀っています。
この土塀ちゃんと固定していなくて緊急時は倒して敵兵に落とすこともできるとか
紫竹門の由来の紫竹が生えています。 石垣の上が紫竹門東塀、門から右側が紫竹門西塀です。
南隅櫓・多聞櫓 乾櫓・乾門東続櫓・紫竹門西塀
開場前です。
実際は艮門の桝形の所に足場をつくりそこから撮影したそうです。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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