山頂の天守が焼失してからは天守の代わりにお城の象徴となったそうです。
天守には穴倉があったようです。
ズームすれば砂丘の馬の背にいる人も見えました。
鉄塔が建ってる山が太閤ヶ平(本陣山)です。 行く人は計画的に。
山上ノ丸二の丸にある休憩場に転がっていました。
鳥取城から尾根道を伝い本陣山(太閤ヶ平)のゾーンに入ってきました。
鳥取城の麓の城郭から山を挟んで反対側にあるのでぶらっととは行けないです。
1867年に建てられましたが1975年に台風で倒壊、後に復元したものです。
復元工事中でした。完成は平成30年頃だそうです。
背後の石垣が崩れそうになりそれを補強するために築かれた球面石垣
山上ノ丸につく手前に太閤ヶ平の案内板がありますが、ここからそうとう歩かないと太閤ヶ平へは辿りつけないです。
宮部時代は三階、池田時代は二階の天守が建っていました。
1969年~1975年の間だけ運行していたそうです。
江戸時代にはこの巨石の前に神社があったそうです。
太閤ヶ平までの間にいくつも陣城が点在しています。
遺構はよく残っています。
大手や搦手虎口に横矢を仕掛けられる位置にあり、半地下式の施設があったと考えられているそうです。
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