歩き回った範囲で、明瞭に残っている遺構は、これくらいだった。
攻城時には知らなかったのだが、この城の中心部は太鼓森まで続く耕作地であり、それを囲う細尾根は城塁の役割を果たしていたそうだ。朝鮮式山城を思い浮かべればわかりやすい。 この妙見社のある曲輪は、その城塁の中でも高所にあり、物見台の役割を果たしていたようだ。 知らなかった……。
歩き回った範囲で、明瞭に残っている遺構は、これくらいだった。
竪堀と言うよりは、虎口前の横堀が台地端で竪堀形状に変化しているよう。妙見社のある高台への防御線と言ったところか。
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