この案内板、上が南で下が北になっています。 明禅寺城は赤地で書かれている里山センターの下です。 自分はふれあいの辻からのコースで行き、帰りは恩徳寺側に下りるコースを使いました。
里山センターからのコースは少し遠回りになりますが緩やかな遊歩道になっていました。
明禅寺城のある操山は古代の墓地だったようであちらこちらに古墳があります。
通行止めの看板を誤読して通行止めになってる萩の塚古墳側に来てしまいました。 せっかくなのでパシャリ。この写真のすぐ奥から明禅寺城側は通行止めになります。
まだ城域ではなさそうですが、本当に小さい案内板に清水舞台と書いてありました。
ここで通行止めになったコースと合流します。 原尾島からの登山道もここに出てきます。
尾根道には数か所このような岩が石門のように残っていました。
尾根道には数か所このような岩が石門のように残っていました。
尾根道には数か所このような岩が石門のように残っていました。
縄張図を見るとこのあたりに堀切があったようです。石切り場になっていたようで 垂直の壁が目立ちます。現在は土橋状に遊歩道が続いていますがこのあたりは改変なのではという話です。
堀切跡の切岸ですが石切り場だったのではと言うことです。
腰曲輪の西端には石積の土塁がありました。
腰曲輪の西端には石積の土塁がありました。 またここの切岸も垂直で石切り場だったのでしょうか?
いかにもな感じの窪地です。
本丸の北側には段状の曲輪が続いていました。
恩徳寺側の登山道は結構急坂になっていました。
恩徳寺側の登城道は柿の木畑の間を通ることになります。 このあいだの豪雨のせいか道に轍ができていて歩きにくい状態でした。
里山センターからのコースは明禅寺城とは逆方向の南東に最初向かいますが、ふれあいの辻という分岐点で明禅寺城のある北側へ向かうことになります。ここからは写真のようななだらかな道になります。
豪雨の影響か萩の塚古墳からのコース(尾根筋)が通行止めになっていました。 ただ、通常のゆるやかなコースは問題無いので攻城には支障はありません。
ふれあいの辻・萩の塚古墳・原尾島からの登山道の合流地点から明禅寺城への尾根道の写真です。 木にかかっている注意書は先月の豪雨での注意書です。
この腰曲輪には石積土塁が残っていました。
ここを登れば本丸です。
ここも垂直の切岸です。 石材っぽいものが転がっているので石切り場だったのでしょうか?
明禅寺合戦時はどのようだったのかは詳細な縄張り図がないので、城址なのか古代の古墳なのか、廃城後の石切り場なのか、わからないことが多いです。
一二三段のように積まれています。
一二三段のように積まれています。
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